思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

東大病ー近代天皇制=ヒステリーの制度化

2005-06-09 | メール・往復書簡

「東大病」=思考力の減衰(東大教授・山脇さんとのメール)-このすぐ下の記事
に対して以下のようなメールがありました。法律の専門家の方からです。


「日本の社会・人間問題の底には、「東大病」という名の精神病があります。右翼も左翼もその点では同じです。」(武田)

右も左もだけでなく、エリートも非エリートも「東大病」にかかっています。
もちろん私もそうです。
いくらか自覚があるかどうかの違いだけです。

「東大病」の根っこが近代天皇制にあるという認識が重要であると思います。
敗戦をきっかけにこれを清算すべきだったのですね。
それがないまま60年も過ぎてしまった。



そうですね。内容ではなく形式が優先するのです。それが人間を幸福にしないわけです。
東大生や東大教授個人が「どうこう」の問題ではなく、「一極絶対のヒステリー」の制度が皆を不幸にするのですね。意識を歪め、内容の豊かさを損なう生き方―価値観の象徴が「東大神話」です。その根っこが「近代天皇制」にあることはもちろんです。

誰とも何も変わらない生身の同じ人間を、「日本国民全員を統合する象徴」!?にしているのですから何ともおかしな話です。
生まれながらにして全て特別待遇の人間が存在し、「皇族」であるだけで敬語が使われるとは、人間の平等に反しますね~。ほんとに。
「東大」であることが偉かったり、「官僚」であることが偉かったり、「巨人」であることが偉かったりするのと同じです。
理不尽な話なのに誰も何も言えずに黙っているしかない。おかしな敬語で遇する。爽やかでない空気をつくって人々の深層意識を抑圧しているのが、こういう「形式が支配する」非人間的なシステムです。ヒステリーが制度化された社会が明治以降の日本です。

もっともこれだけ一極集中していると「もろい」ですから、本気で取り組めば変革は容易かもしれません。
「王様は裸だ」!と言い出す人が幾人か出れば、個々人から出発するエロースを奪うおかしなシステムは瓦解するでしょう。
もう21世紀、古代国家ではないのです。いつまで不合理極まりない「元号」を使い、時間―時代区分までひとりの人間の生死にゆだねているのでしょうね。愚かです。

「皇族の人権と市民精神の涵養」をぜひご覧下さい(クリック) 。日本社会の健全な発展のために、また皇族の人権を回復するためにも明治政府が作った「近代天皇制」を改めることが必要です。天皇家を「歴史・文化的存在」とし、天皇「象徴」の規定をやめなければいけません。

6.9 武田康弘

付加:6月10日 山脇さんからのコメントが入りました。わたしのコメントも貼り付けました。「コメント」をクリックしてご覧下さい。問題の本質が明瞭になると思います。




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