思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

東大病=思考力の衰退 (東大教授・山脇さんとのメール公開)

2005-06-07 | メール・往復書簡

私とメールで思想的なやりとりをしている山脇 直司 さん(「公共哲学とは何か」の著者・東大大学院院総合文化研究科教授)へのメールです。(公開にあたり一部カットしました)山脇さんからは「重く受け止める」との返信がきています。
以前の山脇さんとのやりとりについては「メール・往復書簡」クリックをご覧下さい。


山脇さんへ。
小堀桂一郎(東大名誉教授)のこと、
なるほど、そうですか。

情報処理能力と思考力は逆比例しがちです。自分の頭で考えることを始めると、深層的な理解は深まりますが、表層的な処理能力は落ちます。日本の教育は、深層の力(本来の意味での哲学)の開発については全くというほどできていません。したがって日本で頭がいいというのは、真に自分の頭では考えず、情報をパッチワークする能力が高いということにしかなりません。

深い思考力の持ち主=ソクラテスが文字を残さず、しかも自国語しか話さなかったということ、アインシュタインがアメリカに移住しても英語は最低限しか使わず思考はすべて母国語(ドイツ語)で行っていたこと、などの意味を掘り下げてみるのも一興かと思います。

ちょっと話がずれてしまいましたが、
戦前の東大国史科・主任教授の学生への一言ー「きみ、農民に歴史があるのかね?ブタに歴史がないのと同じで農民に歴史があるはずないだろう」と同じで、頭の芯が歪んでいて、歪んでいるのが自分の「偉さ」だと固く信じているのですから救いようがありません。現在の日本の「高級!?官僚」も同じ歪んだ「エリート!?」意識に囚われていますね。
(「イワンのばか」を書いたトルストイはさすが!です。)

日本の社会・人間問題のには、「東大病」という名の精神病があります。右翼も左翼もその点では同じです。『人間を幸福にしない日本というシステム』の源は、人間の価値・能力に対する偏った見方(あまりに侵食されているのでほとんど自覚できない)にあると思います。日本社会の本質的問題とは左右の政治対立という次元の話ではなく、もっと深く人間的エロースの源泉を涸らしてしまう[単眼的価値観刷り込み]の思想・制度(社会思想的なことばで言えば「近代天皇制」)にあると思っています。韓国の人が「日本人は三人集まればもうそこに天皇制が始まる」と言いますが、その意味するところは何か?を探ることが核心です。外面、役割の固定化、秘密主義、、、、、

即物的、決定論的思考、序列主義ー権威主義、紋切り型、深層ヒステリー、潔癖症、規範主義、、、、しなやかさー自由さを消去するこうした意識は深く人間生活の全てを覆っています。ちょっと油断すると改革者の頭も心もすぐに染まります。或る「構造」が厳として存在するからです。有名大学に行くのは、日本社会での序列上位を獲得することが最大の目的なのですから、『哲学』は永遠にやってきません。哲学は大学内「哲学科」の職業としてだけ存在する、というわけです。

山脇さんはめずらしく現状変革的な方なので、ぜひ内部からの問題提起をしてもらいたいと思います。いかがでしょうか?何よりも深く重い課題ですが。同志としてエールを送ります。

2005.6.6 武田康弘



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