思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

竹田青嗣著 『言語的思考へ』ー世界的名著の解題的書評

2005-06-12 | 書評

本書が出てから3年以上経ちますが、この書は、「言語論」に新たな地平を開いた世界的名著です。じっくりと時間をかけて読まれることをお勧めします。難解な言語の原理論ですが、推理小説のように面白い!この書評は、2002年5月「白樺教育館ホーム」の民知の図書館に載せたのですが、脚注のカタチで出したので、ほとんど読まれていないと思い、ブログに発表します。


解題的紹介 竹田青嗣著「言語的思考へ」
径書房(2001年12月)刊・定価2200円+税

 現代思想は、その主張の論拠を<言語理論>に置いています。したがって、現代の哲学思想問題は、言語理論の検討を必須のものとして要請します。

 しかし、単なる言語学(言語を分析する科学)の対象となる言語(これを竹田さんは「一般言語表象」と呼ぶ)をいくらがんばって追いかけてみても、生きた現実の言語について知ることはできません。

 言語問題の中心にある言葉の意味とはなにか?を明らかにするためには、現象学の方法を徹底させることが必要です。なぜなら、現実の生活世界から立ち上る意識―言語を問題としなければ、言葉の意味を確定することはできないからです。

 同一の語や文も異なる状況の中で多様な意味を持ちますが、生きた実際の発話の場(文学や理論の言語もそれぞれ独自の発話場をもつ)を踏まえれば、意味を決定することができます。

 言葉を人間のそのつどの関心、・欲望から切り離して科学的な分析の対象としてしまうと、意味は多様となり決定不可能性に陥ります。言語学の祖・ソシュール、ヴィトゲンシュタイン、現代思想のデリダまで従来の言語理論は、形式論理によって言語を分析してきた為に、言葉の意味が確定できないという「言語の謎」に逢着(ほうちゃく)してしまいました。

 現象学による現実言語の解明ではなく、形式論理の言語学による言語分析(一般言語表象)では、この「謎」を解くことができません。そのために言語理論に依拠する現代思想は、「何事もすべて決定不可能」という結論に導かれてしまったのです。こうして現代思想は、従来の思想を批判するだけで、新たな思想の原理を提示することが出来ない事態となり、終焉する運命になったのです。 

 人間や社会問題の原理的な解明のためには、実存論(現象学的存在論)の立場による分析が必須ですが、当然のことながら言語論もその例外ではないことを証明したのが、竹田青嗣著の「言語的思考へ」です。

 明治以来、日本ではじめて誕生した世界水準を抜く哲学思想の書に、乾杯!
私は、本書は歴史的名著となると確信しています。

武田康弘



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