昨日の「わたしの哲学と思想」について、哲学者の竹田青嗣さんと綿貫信一さんからメールを頂きました。感謝です。公共的にも大きな価値を持つ「思想的な部分」について公開します。「理論」や「主義」ではなく、「哲学」を拓くために!
竹田青嗣さんからのメール
「原理上、認識論は「観念」を先立たせなければ成立しません。したがって「唯物論的認識論」とはそれ自体が言語ー概念矛盾です。だからマルクスは認識論が書けず、ヘーゲルのそれに拠るしかなかったわけですが、そのことを彼が自覚できずにいたことがマルクス思想を「主義」として教条化させた深因だ、と私は見ています。」(武田)
これはまったく賛成、ほんとにその通りと思います。認識論の原理がはじめにないと、何とでも直観補強できるので、哲学の名前に値しない。いや、こういうことを理解しているひとが少ないのでほんとにこまります。(竹田)
綿貫信一さんからのメール
「話はそれますが、「認識論」抜きの哲学は哲学ではなく、人生論やただの主義にし
かなりません。原理上、認識論は「観念」を先立たせなければ成立しません。したが
って「唯物論的認識論」とはそれ自体が言語ー概念矛盾です。だからマルクスは認識
論が書けず、ヘーゲルのそれに拠るしかなかったわけですが、そのことを彼が自覚で
きずにいたことがマルクス思想を「主義」として教条化させた深因だ、と私は見てい
ます。」(武田)
私はとても強く納得しました。(この話を土曜日の「哲学の会」に聞いた時は鳥肌が立ちました)
何故マルクスが哲学者ではなかったのか、そしてマルクス「主義」として酷く教条化
していったのかが、非常に明確に分かりました。(綿貫)
竹田様、綿貫様
とてもありがたいコメントです。心強い限りです。
追加:以下は、6月26日の綿貫さんからのメールです。
話が戻りますが、この前のマルクス主義の件です。
やはり「生」の話し言葉で聞くインパクトは凄いと思います。
私はさほどマルクス主義の呪縛はありませんでしたが、やはりソ連崩壊後もずっとモ
ヤモヤとしたものが残っていました。竹内芳郎や竹田青嗣の論で何となく分かったつ
もりでいましたが、決定打では無かった…。
6月18日の「哲研」のあの場で、深い納得を自分の言葉で発言したかったのですが、あまりに感激してしまって何も言えませんでした。
「唯物論的認識論自体が矛盾」と聞いたときにアッ!(以下空白です)
綿貫信一
ほんとうにありがたい話です。感謝!です(武田)。