思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

私の原点―小学校の「政治クラブ」と胃潰瘍

2005-09-04 | その他

(以下は、執筆中の依頼原稿「民知ー恋知と公共哲学」ー20枚の導入部分です)

私が小学5年生(文京区立誠之小学校)の時、初めて学校に「クラブ活動」が導入されました。社会問題に興味が強かった私は、友人と共にクラブ活動担当の先生に「政治クラブ」をつくってくれるように頼み、実現しました。

そこでは「日本国憲法」と「大日本帝国憲法」の比較や、アメリカ合衆国とソビエト連邦との違い、優劣等について学び、考え、議論をしました。私は、新聞の社説を読み、政治談議をする小学生で(笑)、日本も政権が交代する二大政党制にならないと民主主義とは言えない、などと生意気な主張をしていたものです。6年生の最後のクラブでは、人間の幸福とは何か?のテーマで話し合いましたが、アランの幸福論などを前にどうにも整理がつかなかった思い出が残っています。もう40年以上も前のことです。

社会科の勉強は算数と共に大変好きで、知識はたくさん持っていましたが、しかし、いくら調べても考えても、「ほんとう」のことは、少しも分かりませんでした。日本は、「天皇主権の国家主義」の社会から人間の自由と平等に基づく「民主主義」社会に変わったというけれど、天皇家に生まれた子どもは、どうして生まれながらにして特別待遇なのか? 世襲の一人の人間がなぜ私たち全員を統合する象徴なのか? なぜ、天皇という一人の人間の死で「時代名」まで変わってしまうのか? 法の下の平等という憲法14条との関係はどうなっているのか? 旧・憲法下では、主権者で、軍隊の統帥権を持ち、その軍隊は「皇軍」と呼ばれ、現人神(あらひとがみ)であった天皇が戦争責任をとらない!とは一体どういうことなのか? 図書館の本で調べても、先生に聞いても腑に落ちる答えはどこにもありませんでした。

分かったことは、大人は少しも「ほんとう」のことは考えていない、ということです(笑)。そういう本質的な問題については何も考えず、何も知らなくてもテストでは100点を取れることも学び?ましたが、私の場合は、父が私の質問に乗って、一生懸命に「問答」をしてくれたことが幸いでした。「考える」ことは、ワクワク・ドキドキする悦びでした。
どの科目も、ただの「がり勉君」になれば、好成績が得られることも体験から知りましたが、そういう面白みのないインチキな勉強はすぐにやめました。自分がニセモノの人間になっていく、と感じて心がとても苦しかったからです。

多感で神経質、集中力の強いストイックな性格のせいでしょうか、5年生の後半から私は胃潰瘍を患い、その後十二指腸潰瘍となり、以後20才まで長いこと苦しめられました。しかし、がんの疑いから胃カメラを使っての検査もした「闘病」は、死への恐怖から「生きることの意味」を問う心を育てました。いわゆる「偉い人」の言葉を信じるのではなく、深い納得をもたらす考えを自分の頭で創り出すことが「日課」になったのです。だから私は、哲学史上の「実存主義」とは全く無関係に、はじめから実存主義者でした。

いまに至る私の「知」の探求仕方は、この時決まったようです。書物の知は、あくまでも一つの手段でしかなく、肝心なことは自分の頭で考えること。自分の目でよく見て確かめる実践的な思索こそがほんものであること。「試験知」に乗った学者や批評家としてではなく、深い納得を求めて生きる「思考する一人の人間」としての生を貫くこと。
その後、大学で「哲学」に集中的に取り組むようになってからは、西周(にしあまね)によって無粋な訳が与えられてしまった「哲学」-philo(恋する)sophia(知)、本来は『恋知』と訳される言葉の初心に帰ること=キリスト教という一神教誕生後の「ヨーロッパ」哲学以前のギリシャのソクラテスが提起した『恋知』(「パイドロス」の後半を参照)を貫くことが何より大切、そう考えるに至りました。

9月2日 武田康弘

(この続きはなかなか刺激的で、面白いのですが、新聞の発行後に発表します。)



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