思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

小泉首相は「いい人」なの?かも知れませんが、政治家としては「失格」です。

2005-09-15 | 社会思想

小泉首相は、「公人」としてはとうてい認められない存在です。

友人Aは、とてもいい奴です。優しくて真っ直ぐで頭もよく、皆に好かれます。私の40年来の親友です。でも政治について語ると「個人的な思い」のレベルを超えられません。
議論ができないのです。自分の信条以上には出ず、スケールが小さいのです。一つのことに拘るために、公共的な思想を構築することは不得手です。明晰なのですが、狭く、思想的ヒステリーなのです。日本人に多いタイプです。個人的に付き合うにはとてもいい奴なのですが。

こういうタイプの人間は、友達として長く付き合えますが、政治家にしてはいけません。自分の「個人としての信念」に頼り、「政治技術的」に事を運ぶだけになるため、国の進路を冷静沈着に見つめ、未来を拓くよき空気をつくりだすことができないのです。

政治家は公人であり、個人的につきあう友達ではありません。深い意味での国益を実現するのが仕事です。国政の最重要課題は、外交と予算です。小泉首相は、個人レベルの信念に固執して「国益」をおおきく損ねています。

アメリカ一辺倒の外交、近隣諸国無視の靖国参拝、自衛隊のアメリカ軍との共同行動・作戦推進、どれもこれも日本のよき独自性を失わせるものばかりです。テロの標的にもされかねません。
地理的条件も、歴史的条件も日本とは正反対のアメリカに追随するのは、あまりに無謀です。
戦後60年の今もなお、明治政府つくった国家神道(=天皇教)の総本山「靖国」に戦死した兵士たちを祭り、「公立墓苑」の計画はストップさせたまま。
全く「未来の市民社会」を拓く思想=理念がありません。

こういう選択しかなかった日本は不幸です。私は、もうしばらく不幸に耐え、新たな希望の哲学の原理を揺るぎなきものとして創り出す営為に励みたいと思います。

結党以来、私は主張し続けていますが、政治思想がない「民主党」は、解体修理が必要でしょう。なぜ、新しい市民社会(それは、明治以前の日本のよき伝統を活かすことにもなります)の理念を堂々と掲げることが出来ないのか?
明治政府がつくった「近代天皇制」をきちんと批判し、新たなシチズンシップに基づく社会像をトータルに示せないのか? それが出来なければ自民党を乗り越えることは不可能です。これは原理だと思います。

「皇族の人権と市民精神の涵養」をぜひご覧下さい。

9月14日 武田康弘




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