思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

イギリスからのコメントー「主観を消去する日本というシステム」

2006-01-23 | メール・往復書簡

1月11日のブログー「主観を消去する日本というシステム」クリック)を読まれた森下さん(イギリス・ロンドンの大学院で社会学を学んでいる方)からコメントがありましたので、以下に貼り付けます。


1月17日森下

日本では学術論文を書くとき「私は」(I)という主語を使ってはいけないと指導されました。学術論文は客観的なものでなければならないという観点からです。

欧米でももちろん「客観的な真実」という伝統は残っていると思います。でも、社会学の分野に限っていえば、その伝統は既に大きく崩れています。おそらくポストモダンとか(その言葉自体はあまりすきではありませんが)そんなことが影響しているのでしょうが、逆に「私」を前面に出して書くことが奨励されます。学術論文であっても、論文を書いている「私」の存在を無視することは出来ないし、それを前面に面と向かって読者に暴露した方が、下手に隠すよりは親切だし、自分のやっていることへの責任感のあらわれにもなるということです。

博士課程をこちらで始めた当初、ボクも「私」を極力さけながら論文を書いていました。でも、ある時それを指導教官に指摘されました。「自分が論点を引っ張って行くんだし、自分が利用する理論や文献を選択するわけだし、それはきちんと書いておいた方がいいのです」と言われ、なるほどと思いました。

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1月20日武田

ロンドンからの貴重な生証言!、どうもありがとうございます。
たいへん参考なり、感謝しています。
これからもこのような話をぜひお聞かせ下さい。

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「主観」を消去する詐術、それが「人間を幸福にしないシステム」をつくっている深因だと思います。
よろしければ再読してみて下さい。クリック


コメント
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