思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

サルやイヌの属性を示す人間!?/キムテチャン氏・来館

2006-01-29 | 教育

サルに芸を仕込むように、犬を躾ける様に人間の子どもを教育すれば、サルのような、犬のような属性を示す人間しか育ちません。
芸・型・パターンを仕込むことを目的とする教育は、人間をその深部で殺します。
思い・悩み・全身で思考すること(私の教育実際を知ったキムテチャンさんはそれを「身考」・「身想」と名付けてくれました)なくしては、人間は人間になりません。
人間になるとは、自分から始まる人生を生きる存在になるということです。

その核心は、「あそび」です。特定のスポーツ競技の訓練ではなく、「あそび」は「人間力」を育てます。人間ならざる人間=機械的な紋切り人ではなく、自由な広がりと輝きもったエロース人をつくるのが「あそび」です。仕込まれた「型はまり人」ではなく、自分からはじまる不定形な世界をあそぶことができる能力―この人間に与えられた最高の能力は、技術主義的なステレオタイプの教育では、全く育ちません。消去されてしまいます。

「あそび」とは、身体と頭脳の双方-心身全体の最高の「トレーニング」であり、ほんものの教育(知育・徳育・体育)への鍵です。
「考える」ということも広義の「あそび」です。あそび心がなければ、考えることはできませんし、考えることはあそび心を広げます。厳禁の精神や技術主義な知に陥れば、人間はエロースを失い、人間としては死ぬしかありません。


金泰昌(キムテチャン)さん、来館

昨日午前10時40分にわが我孫子の「白樺教育館」を訪れた金泰昌(キムテチャン)さんは、福嶋市長と私との三者会談に引き続き、大学生・社会人の「恋知」(哲学)の授業に参加され、深い共感と大きな喜びを表されました。
一週間ほど前に、私が30年間続けている子どもたちの式根島「キャンプ・ダイビング」の様子をビデオで見られたキムさんは、「いや~、凄い!素晴らしい!これは通常の言葉では言い表せない教育であり、それを支える思想だ。身育―身考ー身想という言葉を創ってみました。」と電話で話されていましたが、昨日、授業に参加されても同様な感想を述べられていました。
大変うれしいことです。深く感謝します。
それにしても71才のキムさんは、大阪から来館され、食事も取らずに9時間休みなく(おやつをつまみながら)、話し続けたのでした!!!!

武田康弘

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