思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

太ったベジーター「ホリエモン」再録

2006-01-24 | 社会思想

以下は、昨年の3月7日のブログのコピーです。

2005/03/07のBlog
同じ穴の狢―ホリエモンと旧・経営者―べジータが偉い!?



「何のため」はないーただイチバン強いことを求める、というのが『ドラゴンボールZ』のべジータでした。

一番金持ちになること、一番大きな会社になること、自分または一族が覇権を維持すること。それが目的!?!? ニーチェが描いた超人・ツァラトゥストラの「ライオン」段階(両者ともかなりみすぼらしいライオンですが)に留まる人たちの「学芸会」にはエロースが乏しいですね。

「真実はなくても、金さえあれば皆がついてくる」というのが、彼らの本音のようです。

「点数」それ自体、「貨幣」それ自体、「権力」それ自体、「腕力」それ自体、「性交」それ目体が目的!? 目的ならざる目的の世界。理念やロマンのない人間が幅を利かせる世の中には「ニヒリズム」しか与えられませんね。

「点数」も「貨幣」も「権力」も「腕力」も「性交」も、豊かな理念やロマンの世界に支えられた日常を《地》として持っていないと意味を失います。人間を幸福にしません。これは原理です。

何よりも人間に必要なのは、真・善・美に憧れるロマンの心です。美しいこと(人)・よいこと(人)・真実なこと(人)に憧れ、それを求める心です(哲学???を見て下さい)。

ソクラテスが二千数百年前に看破した人間の生きる意味と価値=善美のイデアという幻想価値だけがあらゆる人間の営みを支えるという「実存の原理」が忘れられ、貨幣いう幻想価値が、善美という幻想価値を上回ると、人間―社会は死んでしまいます。

ベジータではなく、悟空がいいですね。そう、あの超人・ツァラトゥストラは、「駱駝(らくだ)」から「ライオン」、そして「子ども」へと進化したのでした。


リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラ』(小澤征嗣・ボストンso)を聞きながら。


2005/03/07 武田康弘



コメント
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