どうして行政を中心とする不当な権力行使に対して、マスコミをはじめ多くの人は、自己規制して黙っているのでしょうか?
ふつうに見れば明らかにおかしいこと、それも個人の思想信条に関わる重大な問題への侵害に対してなぜ見て見ぬふりをするのでしょうか?
自衛隊宿舎のポストにビラを入れた反戦市民グループの人が、ただそれだけの理由で何ヶ月間も拘留された、ということが、なぜ、政治の重要問題にならないのでしょうか?
私は、そのビラの内容には賛同できませんでしたが、ビラを入れたことで何ヶ月間も警察署内に拘留されて自由を奪われるということが、民主制社会で許されることでないことは、自明の話だと思います。極めて重大な人権侵害を公務員(警察官)が白昼堂々と行い、それがまかり通る国が、民主制国家? 私にはどういうことなのか全く理解できません。
嫌がる人にまで、歌を歌うことを強要する(明治天皇に捧げられた天皇賛歌「君が代」斉唱の教育現場での強制)というのも重大な人権侵害ですが、なぜふつうの多くの人は黙っているのでしょうか?
一昨日「無罪判決」が出た幼児殺害事件でも、一つの物的証拠もないのに起訴した検察庁の役人は、議論の余地無くただのバカ(かつ冷血漢)でしかありません(私は教育者として責任をもって断言します)。憲法にはっきり規定されている原則(第38条―何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない)さえ守らない人間が司法官憲・検察官だとしたら、外国から「官僚独裁国家」と規定されても当然ですね。こんな判断しかできない人間でも司法試験に合格する、これもひどい偽装・偽造問題です。
個人の感じ方―思いー考えを最大限尊重することが民主制社会の基本原則であり、そうであるからこそ、社会には豊かなエロースが広がり、エネルギーが漲るのです。法律を行政権力に都合のよいように解釈・運用して、「思想および良心の自由」を押さえ込む国、気の弱い口下駄な人間を「殺人者」にしてしまう国、
それに対して「ノー」という意思表示を皆がしなければ、間違いなく日本はおおもとから腐ってダメになります。思想信条が管理され、統制されれば、まともな人は窒息死し、後にはただの事実としての人=事実人(フッサール)しか残りません。
「主観を消去する日本というシステム」(クリック)を見てください。
以下は、ヴォルテールの有名な格言―民主制社会の屋台骨を支える言葉です。
小学5年生の時に、この言葉を『社会のしくみ』という本の中で見つけたときの痺れるような感動を、私は53歳の今でも鮮明に記憶しています。
「私は、あなたの言うことには一言も賛成できない。しかし、あなたにはそれを言う権利がある。私はその権利を死を賭けても守るつもりだ。」