思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

荒川静香・イナバウアー (メール公開)

2006-03-01 | メール・往復書簡

以下は、公共哲学ML と 白樺ML内のメールです。

February 24, 2006
アジアン・ビューティー荒川静香が金メダルを取るまでに、日本が歩んだ道 (川西玲子)


 荒川静香選手が日本女性で初めて、というよりアジア女性で初めて逆転の金メダルを取りました。何より嬉しかったのは、彼女が実に美しかったこと。まさにアジアン・ビューティーです。

私の記憶に残る最初の冬季五輪は、グルノーブル。以来フィギュアに魅せられてずっと観続けてきましたが、日本人選手はいつも、出てきた瞬間に目を覆いたくなるほど見劣りがしたものです。

しかし、荒川静香はもちろん、村主章枝も安藤美姫も美しく、それぞれに魅力的でした。感無量です。ここまで来るには、様々な出来事がありましたから。

私がフィギュアに目覚めたグルノーブル・オリンピックの頃。日本は高度経済成長の真っ最中でした。今の中国のように、年率10%近くの経済成長を続けていた怒濤のような時代です。みるみる豊かになって、日本人はどんどん世界の舞台に出て行きました。

そしてトラブルがたくさん起きました。ホテルの廊下をパジャマで歩く、どこにでもインスタント味噌汁を持っていって飲む。その行為は笑われ、がつがつ働いてばかりいるエコノミック・アニマル、センスの悪い成金と馬鹿にされたものです。

一方で日本人は白人の美へ強い憧れを持ち、体型の違いも忘れてひたすら真似をし続けました。お金持ちになって、「気分はもう白人」でしたから。でも、端から観るとしょせんはバナナ・・・つまり黄色い白人でしかなかったのです。

日本人は・・・アジアの人間は、ずっとこうして白人の後を追いかけ続けるのか。私は複雑な心境でした。結局コンプレックスなんですよね・・・。観ている私たちにもそういうものがあったのでしょう。経済大国になってもノーベル賞を取っても、美しさでは白人にかなわない。最後の勝負は美しさですから。

でも今回出場した三選手に、そういう屈折したものは皆無でした。観ている私たちにも、そういう気持ちはもうありません。それが私には感無量だったのです。スポーツはここまで来たかと。願わくば政治家も、低次元のナショナリズムなどに囚われず、外見も中身も成熟社会にふさわしい美を追求してもらいたいものです。

栄養状態が良くなり生活にも気持ちもゆとりができ、むやみな競争を止め、人生を楽しみ、自分の生き方に自信を持つ。美しさはそこから生まれてきます。かくして、観衆を魅了するアジアン・ビューティーが誕生しました。後は男性がどこまで美しくなるか(笑)。

それと私が期待していたパンツルックですが、かなり増えましたね。スルツカヤはSPでパンツルックを使用しました。いつかパンツルックの選手が金メダルを取るでしょう。

それと、私はグルジアの16才の選手が気に入りました。ふだんあまり見る機会のない不思議で魅力的な顔と衣裳、そして音楽がすごく新鮮だった。改めて「美の多様性」に感動しました。美は多様だからこそ素晴らしいのです。 「比類なき唯一の美」とか何とか言い出したら危ない。 by R・K

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February 25, 2006 9:56 AM 武田です。

得点に加算されないことになり、点数としては無価値のイナバウアー(弓を描き後ろにおおきく反りながら滑る)をあえて復活させた荒川静香の自分を貫く凛とした心に深く感動しました。
日本人だからではなく、見事に自分性を貫き開花させたひとりの人間として熱い共感を持ちます。

国籍の別も、男女の別もありません。
ただ、よきもの・美しきものへの感動だけがあるのです。

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February 25, 2006 2:05 PM 古林です。

武田さんのMLに触発されて。

フィギュア・スケートは美しいとは思っていましたが、これまでその採点の不透明さと偏りに
あまり関心を持たなかった私が偶然、荒川静香のSPを見てとても気になりました。
何だ、これは!
うまいとかきれいという次元とは異なるものを感じたのです。
インタビューでは、自分自身を表現してみたい、楽しみたい、という言葉が出てきました。
多くの選手がその重圧から逃げるように、そうした言葉を発するのと違って、荒川静香は
本当に心の奥底からそう願っているようでした。
(あとで知ったことですが、いろいろ悩み、迷った末の確たる決断だったようです。)
金を取った今、『無欲の勝利だ。』とたたえられていますが、そうではないでしょう。
『率直に自分自身を表現してみたい。』というその願いは、『金メダルが欲しい。』という
世俗的な欲望よりもはるかに貪欲で純粋なものだということでしょう。
イナバウアーはその象徴でもあります。
これは誰も太刀打ちできないんじゃないか、とそのとき感じました。
フリー演技当日の朝、インターネットを開くと、
『荒川、金!』の大見出し。
やっぱりそうか。
録画の演技を見ていてゾクッとするような感覚にとらわれました。
多くの(外国の)観客が総立ちになって拍手していたわけがテレビを見る者にも伝わってきます。
内面から湧き上がってくるような凛としたすがすがしい美しさと強さは何ともいいようのない
感動を与えてくれます。
久しぶりに浪花節でないスポーツの感動場面でありました。
『金』とか『メダル』はたまた『日本人』のことばかり騒ぎ立てるマスメディアにはいい加減うんざりします。
もっとましな、冷静でいながら感動を劇的に伝える内容の記事を一つ紹介します。

 「調和と勝利の神が手を結んだパラヴェーラが、日本語を話す東洋の女神を生んだ。
アラカワの演技は、優雅であり情熱的だった。すらりと背が高く、エレガントで、まるで
日本の丹頂鶴のようであった。光沢ある生地で作られた空色とロイヤルブルーの
コスチュームは、優美でありシンプルだった。シズカは素晴らしいジャンプも持っている。
その演技は魅惑的で、クオリティーも極めて高い。観衆はドガの絵画の中に身をおいて
いた。彼女は完璧な世界に手を触れた」。
クラウディオ・グレゴリ ガゼッタ・デロ・スポルト紙(イタリア)

さて、荒川静香、帰国してからはメディアから大騒ぎされて大変な日々が続くことでしょう。
自分を見失わずにいて欲しいと願うばかりです。
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February 26, 2006 12:21 PM宮内です

古林さんの感想に触発され、私も感想を述べさせていただきたいと存じます。

演技が終盤にさしかかったころから笑顔がこぼれ(内面から滲み出て)
最後のポーズをとった瞬間のあの解き放たれたような神々しい表情。
彼女(サポートスタッフも含む)の努力に対する最高の結果が出て、本当に良かったと感じました。
家内と、心技体とはまさにこのことだねと述べ合いましたが、厳しい競技でのこの結果は、
まさに奇跡的な最高の結果だったと思います。
その結果を導いたのは、荒川静香のメンタルコントロールこそが一番神に近かったのではないか
という印象を持ちました。
『無欲の勝利だ』ではなく、「無心の勝利だ」であったのではないでしょうか。
その証拠に、金メダルを告げられた時の、彼女の表情。純粋に、えっという驚きの表情。
欲しい、欲しいと思っていた者が出す表情ではありませんでした。
もしかすると、競技後、ほぼ自分の力を出し切った充足感に満たされ、
ランキングに対する関心は頭の中にまったくなかったのかも知れません。

私は pure の力をまざまざと見せつけられた瞬間であったと思います。

また 偶然出会うのでは無く、地球上の全員が見つめる中で表現された、
奇跡的な瞬間を目撃出来たよいうことだと考えます。
ミューズが彼女のからだと精神を借りて、我々に示した瞬間だったのでしょう。

古林さんがお感じになった 次元の違い、
ガゼッタ・デロ・スポルトが報道した完璧な世界に手を触れた
というのを私なりに、上記のように感じました。
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February 26, 2006 5:29 PM武田です。

話がいろいろ発展して面白いです。

結果がでたから素晴らしい!のではなく、何より姿勢ー生き方がよいですね。
真っ直ぐに「主観性」を深め、魅力あるものとするブレない人間性に賞賛を送りたいと思います。
スポーツは見よいですが、右顧左眄(うこさべん)しない人生は、どのような人生でもひとしく「善美」です。
「日常」こそがかけがえのない世界です。荒川静香の場合は、たまたまオリンピックという国際イベントだから、皆が見たわけですが、私はそのことに主要な価値を感じるわけではありません。
自分を真っ直ぐに見つめ、外的価値に依らず、意味充実の生をおくる日常こそが「至高の価値」だと思います。

武田康弘



コメント
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