思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

なぜ「愛知」ではなく「恋知」なのか?

2006-03-25 | 恋知(哲学)

なぜフィロソフィー(哲学)を「愛知」ではなく、「恋知」と訳すのか?という質問に答えたメールを以下に載せます。

Hさん

私が使用している「愛」とは、はじめから恋愛の愛の意味(ソクラテス・プラトン思想の原義)です。そのことがぼやけないようにすることが、とても大事な思想上の核心だと考えるがゆえに、どうしても「恋知」と直訳する必要があると思っています。

以下は、「白樺教育館」ホームページの主要文書として立ち上げの初期から載せているものです。

憧(あこが)れ・想(おも)う世界 (Bさんへの手紙)

 〈ロマンや理念〉は、〈具体的な目標〉とは異なり、憧れ・想う世界です。決して手の届かない夢の世界ですが、しかしその「幻想価値」なくしては、私たちは人間としての意味をもった生を営むことが出来ません。

 よいことや美しいことを希求し続ける心が失われれば、人間は実存するのではなく、ただ生存しているだけの存在に陥(おちい)ってしまいます。

 手に取ることも目に見ることも出来ないロマンや理念の世界 - よいこと・美しいことそのものの世界 - 憧れ・想う世界、この「幻想価値」の世界が唯一、人間の人間としての生を支えるのです。

 即物的 - 現実主義的な想念の中では、人間は人間として生きることができません。人間にとって真に実在するものとは、価値と意味の世界=「幻想世界」であって、只の事実や只の物質や只のシステムや只の規律や・・・というものは、存在しないからです。

 ロマンや理念、憧れ・想う世界を失えば、人間は、輝き、張りや艶(つや)、悦(よろこ)びや愉(たの)しみを失って、灰色の固まりへと転落してしまいます。
心は消えてしまうのです。(2002年11月16日)

以上の「憧れ・想う・・・」を「愛」と言ったのでは意味が分かりませんよね。よきもの・美しきものへの憧れ・希求は、恋する=恋い焦がれる、と言わないと、ピンと来ないと思います。
(なお、プラトンの主著「饗宴」は、このことがテーマです。)

質問・疑問・異論があるから、思想は明瞭になるのです。ありがとうございます。感謝。

武田。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする