思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

独白(モノローグ)と対話(ダイアローグ)-対話成立の条件は?

2006-03-06 | 恋知(哲学)

インチキはやめましょうね(笑)。
日本の各種業界=財界であれ、大学であれ、財団法人であれ、役所であれ、議会であれ、、、、では、(偉い地位や肩書きをもたない)個人の意見=主観が主張されることはありません。おそらく主観とは悪である、自分の意見を言うなんて!という暗黙の想念で金縛りにあっているのでしょう。「上位者」に従うべきだというイデオロギーによる支配は、権威者の言説を引くだけの愚かな人しかつくりません。
どうもわが国のエリートには「人間」ではなく、ただの事実としての人=「事実人」しかいないようですね~。

ダイアローグ(対話)でなければいけない!?と、「業界」ではいつも言われます。笑止です。自身の内に「豊かな主観」を育てることのできない人がどうやって「対話」するのでしょうか?
正しい型が決まっているー「客観的真理」がある、という理に反する想念に心の深部を縛られている人に真の「対話」などできるはずがありません。
深い独白(モノローグ)の力を育てる営み・土壌のないところに対話(ダイアローグ)を要請しても、オママゴトにしかならないのです。
有力者―権威者の説を流布する高等(下等?)戦術としての「対話という形式」では、ほんとうの対話は永久に不可能です。
対話を可能にするもの、それはけっして「技術」ではありません。愛を生み、愛を育てる生き方、よいもの・美しいものへの憧れ・恋心のみが真の対話を可能にする条件です。それが自ずと技術を生むのです。
紋切り型のつまらない顔、権威に囚われたコワバッタ表情、パターンにすぎない思考ならざる想念では、どう頑張ってもダイアローグ(対話)は生まれません。

具体的にはどうするの?という声が聞こえてきました。
まず、何より豊かなスキンシップが必要ですね~。早速「肩もみ」を!直ちに実行して下さい(笑)。心を込めて。

モノローグなのに深い対話の力をもつ言説があり、
ダイアローグなのに特権者の独白の流布にすぎない言説がある、というわけです。
形式や言語に囚われていると「現実」が見えなくなります。
もっとも、ダイアローグという言葉は「対話劇」という意味が強いので、対等な対話とは元来違っているのでしょう。そうなると、劇作家の創作にすぎない!ということでもよいわけですね???ここからまたヨーロッパ人の考え方についての面白い「本質直観」ができそうです。

武田康弘




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