思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「新しい公共」とは、近代民主主義社会における公共のこと。

2010-06-03 | 社会思想

「新しい公共」を前に進めることは必須ですが、いまのところ、まだ、政府は普遍妥当的な見解を持てずにいます。原因は、掲げている理念を支える「哲学」の探求に欠けているからです。

封建制の社会や、天皇制の社会における公共ではなく、近代民主主義社会における公共が「新しい公共」なのですが、政府の宣言案はその点も明瞭ではありません。

いかに社会の中で生きるか、という社会倫理は、封建道徳や武士道徳ではなく、民主的倫理として追求しなければなりません。民主的倫理という哲学的土台がないと、新しい公共(=近代民主主義社会における公共)についての普遍妥当的な見解はつくれないからです。

歴史的にも「民主主義社会における公共」についての本質論的探求はほとんど行われきませんでしたので、これから「公共の哲学」は、その課題に全力をあげて取り組まなければならないのです。

頑張らねば~。

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