思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

旧い勢力の復活と、不安定な政治状況は、日本の民主政の危機を招きます。

2010-06-29 | 社会批評

歴史的にも言えることですが、民主化の後には、国家主義が台頭し、民主主義を脅かします。日本の場合は、明治の超保守主義者・山県有朋らがつくった近代天皇制=国体思想に郷愁を感じる人々が、ニッポン主義を掲げ、外国人差別をすることで、現状への不満を逸らそうとします。

教職員が会議することを否定し、教育委員会の言う通りに従えばいい、という東京都の石原都知事の思想は、戦前の天皇制政治やドイツのヒトラー政治と同根であり、近代民主主義社会において許される範囲を大きく超えています。
良心をもった人間味あふれる先生、土肥元校長は、東京都からスケープゴードにされ、酷いイジメにあっています。これは思想統制そのものですが、強権による一方的な方向付けの学校教育を行う自由など政治家にあるはずがありません。民主主義では、親や子どもや教師らが望むことを中心にして学校は運営されるべきであり、強面の政治家とその陰で恣意的な権力を振るう役人=官僚による統制は、ほんらい許されていないのです。主権在民=国民主権の原理に反するからです。

女性の参政権も敗戦後までなく、明治の半ば以来、上意下達の「封建道徳」で人々を縛り上げる国家主義による教育が長年続いたわが国は、守旧派が台頭しやすい素地があります。政治状況が不安定になると一番困るのは、わたしたち多くのふつうの市民です。民主的勢力が不安定になれば、まだ極めて不十分なわが国の民主主義社会は、強権による国家主義の政治に脅かされやすいのです。山県有朋と共に、厳禁の精神の持ち主であり、官僚主義の権化のような政治家であった35代総理大臣・平沼騏一郎(現在の検察庁絶対のシステムをつくった人物)に郷愁を持つような政治家は、近代市民社会の民主主義国家には適合しません。


武田康弘
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