「新しい公共」とは、
戦後の新憲法の理念を具現化するものであり、民主的倫理・民主的人間観に基づく自治的な公共性です。そこでは、生まれによる差別・金品による差別・知識量による差別・学歴や職歴による差別を排し、権威に頼まず、対等な自由対話に基づく共治が目指されるのです。
公(おおやけ)と公共を分けるという「三元論」的な発想とは全く無縁であり、封建制~近代天皇制の下で「公」と呼ばれてきた領域を「人々の公共」に開き、「公」という独自の領域があるとする思想を元から否定するのものです。
政府や官僚組織はあくまでも「人々の公共」を具現化するための機関・組織・人であり、公共の僕(しもべ)です。この原理を、現実政治の場面・学校教育の場面・社会生活の場面で徹底させ、現実のものとするためにはどのように考え・行為したらよいかを探求するのが、【民主主義社会における公共の哲学】の使命であるはずです。したがって主役は人々=住民・市民です。専門家はあくまでもサポート役に過ぎません。
「新しい公共」にふさわし菅首相の誕生を心より歓迎します。
武田康弘