思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

旧社会主義国の秘密機関のような日本の検察庁―頭も心もイカレテいます。

2011-07-22 | 恋知(哲学)

わが国は、戦後66年も経とうとしているのに、いまだに民主主義という思想を理解せず、上下倫理に縛られて民主的倫理に従えず、よき楽しき人間関係を築けません。

ひとえに「正しい」教育が行われないためです。
「自分の頭で考え、みなと対話し、自分たちで決める」という何よりも大切な教育の基本がなく、何事も紋切型の正解を要求するのみ、という今の教育では、高得点者ほどバカになってしまいます。

そういうバカの集まりが官僚と言えますが(「東大病」患者は丸覚え+パターン知の機械的頭脳の持ち主でしかないが、自身はそれを自覚せず、頭がいいと思い込んでいるーなんという悲喜劇!)、愚劣な試験の象徴=「司法試験」の合格者が集まる検察庁は、ほんとうのことは何も見えず、何も分からない人たちの集合のようです。冤罪につぐ冤罪ですが、何の反省もありません。頭も心も腐っています。

今朝の新聞にありますが、東電OL殺害で、DNA鑑定が出ても「有罪を確信している!」とは意味不明もいいところで、崩壊した旧社会主義国の官僚組織と瓜二つですが、このような底までイカレタ組織は、一度、完全に解体して、主権在民の民主主義思想に基づき作り直すほかありません。人事をオープンにすること・民主的に選考する制度をつくることは、そのための絶対要件です。

少しそれますが、わたしが23年前(1988年)に企画し、実現させた竹内芳郎さん(哲学者でベルグソン・サルトル・ポンティらの邦訳者でもある)の我孫子市での講演会は、最近になって注目されているようで、昨年は上智大学、今年は慶応大学の入試問題(小論文)にもなっているようですが(講演文が、筑摩書房より本になっていますー『ポストモダンと天皇教の現在』の巻頭論文)、
内容は、日本の試験主義+管理教育への痛烈な批判と大学教育の酷さで、石をパンだと思ってよろこんでいるのが「優等生」だ、書かれています。

この講演会は、わたしが、現・消費者庁長官の福嶋浩彦さんと共につくっていた『緑と市民自治』(我孫子市全域に新聞折り込みで配布・4万部)において、竹内哲学の解説と共に大きく宣伝し、朝日新聞にもお願いして記事にしてもらい、近隣の市民の皆様に参加をよびかけたのでした。
ここで語られている内容は、23年たったいまもなお新鮮で、おおいに読まれるべきものでしょう。「官治主義」から「民主主義」への転回の必要を思われる方は、ぜひお読み下さい。なお、教育についての考えは、当時、竹内氏とわたしは日常的にお付き合いしていたために、ほとんどが重なっています。

また、マスコミの実態は、この講演文でも具体的に指摘されていますが、
今年5月8日に、日本の歴史上はじめて、国会(参議院行政監視委員会)が超党派で「最高検察庁」に行政視察に入ったにもかかわらず、その場に取材に来ていた朝日新聞も読売新聞も記事にすらしない(おそらく最高検察庁から書かないように依頼されたため)のは、竹内芳郎さんも指摘するように、戦前から変らずで、集団同調主義(=普遍的な原理を持たない)ゆえのフヌケ・テイタラクと言うほかありません。人間としての、ジャーナリストとしての誇りを持て!です。また、検察官も人間としての良心があるなら、内部告発をすべきですし、検察の起訴を追認するだけの裁判官の責任は、さらに重いはずです。みな目を覚ましなさい!


武田康弘
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする