重要な文書でしたが、全文を出すのを忘れていましたので、発表します。大学での授業で配布したレジュメです。
わたしの知る限り、民主制の本質論(民主制とは何か)の授業を日本の大学では行っていませんが、これは大問題です。意味論や本質論のない「事実学」には現実的な意味と価値がありませんから。学生が気の毒です。
大学教師のみなさん、ぜひ本質論の授業をして下さい。お問い合わせは、白樺教育館宛にご遠慮なくどうぞ。以下のレジュメはご自由にお使いください。
恋愛が象徴する「私」 2014.4.17のまとめ(4.24 一部加筆) 武田康弘
まず、誰でも、はじめは特定の他者に強く惹きつけられる(恋い焦がれる)という経験をするが、
それは、順当に階段を上ることができれば、人間愛や自然愛へと広がり、最後は、善美そのものに憧れ、真実を求める次元へ
(しかし、それは、特定の対象を恋し愛するという心を消去するわけではない)。
恋愛という感情は、 「私」 の存在から出発する→ここが核心点。
赤裸々な「私」から出発しなければ、自他共に納得できる「普遍性」のある言動を生み出すことはできない。
なにがしかの「集団」から出発すれば、惰性化した形式的世界から抜け出せず、普遍性への道は閉ざされてしまう。
したがって、合意=自他共に納得できる普遍性豊かな言動は、「私」の自由と責任意識からしか生じない。
同時に生まれた相互補完的な「民主制という政治形態」と「恋知(哲学)という精神活動」は、共に、「私」からの出発を原理 としている。
紀元前400年代の古代ギリシャ→ 民主制 demos(人々)+cracy(支配する) デモクラシー。
恋知(哲学) philen(恋愛)+sophia(知) フィロソフィー
古代アテネで、 ペリクレスが民主制を敷き、ソクラテスが恋知の問答を行う。
※アスパシア(ペリクレスの愛人)とディオティマ(ピタゴラス派)という二人の女性がソクラテスの師
神への愛(アガペー)という宗教的な絶対感情や、愛国主義に代表される国家的集団主義の感情とは次元を異にする恋愛(エロース)
という個人的感情からはじまる公共性=相互性こそが、人間性を肯定する民主制の政治(自覚したふつうの人々による統治) をもたらす。
※ 厳しい必然の神・アナンケを打ち破ったのが恋愛の神・エロースである→人間的自由
この古代につくられた原理を踏まえてわたしたちの近代民主制を一口で言えば、
「個々の人間存在の対等性と自由を互いに認め合うことでつくるルール社会」となる。
民主制は、手段=形式にとどまらず、内容を持ちます。それが人権思想です。人権思想と民主制はセット。
フランス革命の理念である「自由・平等・博愛」は、「私」からの出発で生まれたもの。それは、ルソーの思想に端的に表れている。
ルソーは恋愛小説家(「新エロイーズ」)として有名で、同時に「エミール」を著した子育て・人間教育の探求者であり、
「社会契約論」により民主制社会の思想的土台を築き、1789年のフランス革命を準備した。
(参考:恋愛結婚は、日本古来からの伝統だったが、明治政府は、富国強兵のために、恋愛を忌避して見合いによる結婚を強力に進めた)