思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「なぜ塾の仕事をはじめたのか?」 中学2年生の質問5テーマ(夏休みの宿題)に応える。

2016-08-06 | 教育
 
①小さいころの夢
 
誠之小学校(文京区)の卒業式で、代表作文として紹介されてしまったので、みなに知られていますが(笑)、
招来の夢は、弁護士でした。社会的弱者を救う仕事として、政府に対抗するという意味でした。
クラブ活動は、「政治クラブ」(わたしが先生に頼んでつくってもらった)で、哲学的対話をしていました。
ただしその後、日本では行政訴訟は現実的に不可能であることを知り(必ず政府側勝訴となる仕組み)、また、司法試験の内容があまりにもバカバカしい丸暗記テストであることも分かったので、キッパリやめました。
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②仕事をしていてうれしいこと
 
こどもたちの精神的な進歩を目の当たりにすること(40年間でミニ奇跡が幾度も起きました)。
心の交流がたくさんあること。私塾は規則も評価もなしでほんとうに自由ですから、ありのままの子どもたちと交流できます。これ以上の幸せはありません。
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③仕事をしていてつらいこと
 
幼少期からの「子育ての歪み」がヒドイ家庭が多々あり、自分の関心や欲望を素直に現わせない子が多く(幼少期における「おどけ・ふざけ・悪さ・イタズラ」が肯定されず、型にハメられて育った子は、自発性=内発性を持てずに外=大人の要請ないし命令で動く人になっている)、
そういうこどもに「自分の経験をもとに自分の頭で考えて意味を掴む授業」を成立させるのは、極めて困難な仕事となります。その場合は、形式ではなく中身での人間的交流もできません。そのような子は著しくスキンシップに不足していますので、身体遊びも多用して全身をフルに使い「不可能事」にチャレンジしてきましたが、身体がボロボロになり胃潰瘍が再発し、ということが幾度もありました。
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④今の職業を目指したのは・・・
いつ??なぜ??
 
1968年、高校2年生のとき、文京区の都立向丘高校の生徒代表として(各クラスの学級委員による選挙で全員一致で選ばれました)学校教育の改革の先頭に立って頑張りました。校長先生ら3名と生徒代表のわたし一人で2か月間話し合い、校則や授業内容を改革しましたが、そのわたしの考えは、NHKの『10代とともに』という対話番組に出演依頼されたので、そこでお話しもしました。また、10年以上たってからNHKは特集を組み「進んだ都立高校」として母校を連続で紹介もしました。
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⑤中学生に、今伝えておきたいこと
 
情報の収集や整理でごまかさず、経験に照らし、自分の頭で考える習慣をもとう。
受験の勉強ではなく、「意味をつかむ学習」をし、「心の自立」=自由と責任をもつ個人になろう。
 
わたしの好きなこと=言葉は、試行錯語、創意工夫、臨機応変、当意即妙です。
 
 
 
武田康弘
 
コメント (2)
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