人間という存在は、特定の感覚に優れ・特定の技能に長けているのではなく、バランスよく全方位の能力をもっているところに特徴があります。
その特性を活かすように子育てー教育がなされたときには、人間という種に見合う自然性が得られますが、そうでないと、心身と頭に無理が生じ、歪んでしまいます。
現在、多くの精神疾患者であふれ、心身に不調を訴える人がたいへん多いのは、不自然な考え方ー生き方をする悪しき文化に犯されているからと言えます。
その原因は一つではありませんが、
成長の過程での歪み=不健全をもたらす恐らく最大のものは、中学校の部活動でしょう。部活は、実質上は強制入部で、朝練習で早朝に学校に行き、帰りも毎日練習で、夜6時ないし6時30分までやらせます。
一番多感な時期、さまざまな世界を体験し、多方面に興味を伸ばす必要のある人生の極めて大切な時間を、毎日同じ競技の練習で、他のことをする余裕も、家族で過ごす時間もありません。部活は、ミヒャエル・エンデの『もも』に出てくる時間泥棒そのものです。
こういう少年-青年時代を過ごすと、一つの独自の人格をもった個性ある存在=人間に成長することに失敗し、「集団人」に堕ちます。人間なのに、個人意識をもつ自由と責任ある人間になりそこなうのです。昆虫人間やメダカ人間、あるいは上位者に従う犬の特徴をもつ人間になります。
一日おきに月・水・金という程度であれば、楽しみとして部活をし、自分の趣味の世界や芸術を味わい知ることもできますし、学校のカリキュラムにはない知的興味の世界に分け入ることも可能です。
しかし、いまの中学校の部活動は、追いつけ追い越せの発展途上の国のやりかたです。豊かな人間性、多方面に興味をもてる人、教わるのではなく、自分の頭で考える人間、自分で自分の生をつくるほんもの人間を育てません。
人間を人間にせず、特定の技術ー能力に編する存在や単なる集団人にします。実に恐ろしいことです。
武田康弘