いうまでもなく、天皇という名で呼ばれる人も、誰ともかわらぬ一人の人間であるわけです。
一人の人間にあまりに重たい仕事(日本国民全体を統合する象徴!?というのは、まったく不可能なこと)を負わせるのはおかしいと思います。時代名まで、一人の人間の死で変わってしまう。
近代市民社会の成立とともに、そのありようを改革するのは当然でしょう。
「天皇制」のありようを考え変えていくのは、われわれ主権者の意思=自由と責任です。憲法第一条に、象徴という天皇の地位は、【主権の存する日本国民の総意に基づく】とある通りです。
みなで議論すべきことです。
武田康弘
鈴木 英男 まだ、本日のTVを見ていませんが。人を人として扱わないないのは、人の道に逸れていますし、何の権限もない職を持って天皇の職責だけを押し付けるのは、拷問に等しく感じます。
武田 康弘 人の道に反することをやったり、やらせたり、というのがこのシステムのつくる困った作用。
鈴木 英男 美しい日本のシステム。美しい多数決。我が世に従いなさい。小さき者個人なり。
武田 康弘 無限とも思える心の宇宙、個人なり。ニッポンの伝統??にっぽんのシステム、日本固有の美、ふ~~~ん、日本や世界という概念よりはるかに広い個人の心。
Toshirou Maruyama 天皇は基本的人権を剥奪されており、職業選択の自由も、表現の自由もありません。人道に反する天皇制は廃止すべきです。
武田 康弘 皇室は、日本最大の旧家として文化的存在として存続すべきであり、
公務を行ういまの天皇制は、主権在民の原理とは矛盾していますので、人権を認められない天皇という存在を許してしまいます。
天皇となる人間の個人的幸福をつくらないシステムは、時代錯誤であり、そういう存在を国民統合の象徴とするのは、異様な思想というほかないです。
皇族も皇族外の国民も共に、豊かな人「個人」になれません。
今回、明仁さんは、「個人」としてと明言していますが、それは、「個人がない天皇という存在」への違和感を表しています。
『個人』という人類が到達した最高度の意識=存在を肯定し前提としない極右(安倍首相ら閣僚の所属する「日本会議」)の思想は、人類的レベルでの犯罪であり、独裁国以外では認められていません。ドイツをはじめ民主政国家では、危険なカルトとして取り締まりの対象です。
公務を行ういまの天皇制は、主権在民の原理とは矛盾していますので、人権を認められない天皇という存在を許してしまいます。
天皇となる人間の個人的幸福をつくらないシステムは、時代錯誤であり、そういう存在を国民統合の象徴とするのは、異様な思想というほかないです。
皇族も皇族外の国民も共に、豊かな人「個人」になれません。
今回、明仁さんは、「個人」としてと明言していますが、それは、「個人がない天皇という存在」への違和感を表しています。
『個人』という人類が到達した最高度の意識=存在を肯定し前提としない極右(安倍首相ら閣僚の所属する「日本会議」)の思想は、人類的レベルでの犯罪であり、独裁国以外では認められていません。ドイツをはじめ民主政国家では、危険なカルトとして取り締まりの対象です。