思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

音楽家を例にして、 日本と世界ー人間を見る目の隔たり。小沢征爾、武満徹、清瀬保二

2016-08-26 | 学芸

 世界的に最も高く評価されてきた日本の現代作曲家は、武満徹(たけみつとおる)でしたが、彼は、音楽教育を受けていません。
高卒ですが、高校は、文京区白山にある京華高校で、音楽教育はありませんでした。

 武満徹の唯一の先生は、清瀬保二(きよせやすじ)ですが、清瀬も音楽学校に学んだことはなく、独学(県立高校中退)です。名実共に日本を代表する作曲家で、独創的で優れた和声を生み出した人です。

 ボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、世界最高の指揮者の一人と言われる小澤征爾は、斎藤秀雄がはじめた桐朋短大の音楽部卒で、当時は誰も知らない学校、というより私塾の出です。

 日本を代表する最も優れた音楽家は、みな学歴がありません。この事実くらいは知らないと、芸大卒ならとかNHK交響楽団ならとかという歪んだ評価=間違った評価になるでしょう。

 小澤征爾は、20代前半で音楽武者修行と称して、貨物船にのせてもらい、富士重工から借りたスクーターでフランスのマルセーユ港に上陸しましたが、ブザンソンで指揮者のコンクールというものがあることを教えられました。しかし、申し込むにも郵送では締め切りに間に合わず、なんとかしてもらおうと、日本大使館に飛びこみました。しかし、どこの大学かを聞かれます。芸大でないのが分かると、とり合ってくれません。

 小沢は困り、はたと思います。「アメリカは自由の国だ、アメリカ大使館に行こう」と。パリのアメリカ大使館に行くと、音楽部があり、そこの責任者の女性に頼みましたが、彼はこう聞かれます「あなたはよい音楽家か?悪い音楽か?」彼は大声で応えました「わたしはよい音楽家になるだろう!」と。すぐには相手方(ブザンソン指揮者コンクール)の了解がとれませんでしたが、結局OKとなり、小沢は急遽、当時世界で唯一の指揮者コンクールを受けることができました。結果は、飛び入り参加で全く無名の小澤征爾が優勝したのでした。

 日本大使館は日本の若者に助力せず、関係のないアメリカ大使館から助力を受け、
各国の政府や音楽大学から派遣されている若手指揮者ではなく、飛び入りで参加した東洋の日本人にフランスの審査員は、優勝の栄誉を与えたのでした。

 「桐朋短大?聞いたことないね、芸大ではないのか? 残念だが無理だね。」と言ったのがパリの日本大使館でしたし、
武満徹も、来日したストラヴィンスキーが楽譜を見て、彼を高く評価しなければ、世に出ることはできなかった(日本人は師の清瀬保二の他ごく少数者しか彼の音楽の独創性が分からない)わけです。

 われわれ日本人は、自身の価値観ー考え方ー生き方を反省し変えていかないと、いつまでも人生の充実、愉悦、幸福はやってきません。形・形式・肩書ではなく、中身・内容を見、知ることのできる人間になる努力をはじめないと、人間(自由と責任をもつ「個人」)になれませんね。


武田康弘

 

コメント (6)
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