小沢の「未完成」は、まさに彼の人生の黄昏の美しさで、小沢を慕うウィーンフィルの心からの演奏に胸を打たれました。
小沢の最初期の録音(LP)からからほとんどすべてを求め、聴いてきたわたしは、感無量です。
わたしの青春時代は、日本では不当に低く扱われていた小沢でしたが、かつて小沢をパージしたNHKは、ウィーン国立歌劇場の音楽監督になって以降はさかんに取り上げるようになりました。
小沢の恩師・斎藤秀雄(彼がいなけれな小沢もその他の多くの日本人演奏家もいません)を記念した「サイトウキネンオーケストラ」(先ごろ「オザワキネン」と改名)もNHKが放映するようになりましたが、斎藤もまたN響からパージされた人でしたので、なかなかNHKの電波には乗らなかったのです(それで公共放送とは呆れます)。NHKは、小沢が文字通り世界楽団の頂点に上ってようやく態度を改めたのでした。
イヤな話になり不愉快ですので、話を戻したいのですが、
いまのNHKの解説を聞き、またいやな気分になりました。小澤征爾をカラヤンの弟子であると紹介したのです。小沢は、若いころカラヤンのアシスタントもしばらくやりましたが、バーンスタインとの関係がはるかに長いのですし、音楽や指揮法の上では、斎藤の弟子です。斎藤の秘蔵っ子であることは今では多くの人が知るところです。なぜ、ゆがんだ解説をわざわざ入れるのか?NHKに釈明を求めたいと思います。
話を戻します。
ウィーンフィルの音色は、いつものウィーン学友協会とは異なる深々とした木質系の響きで、サントリーホールのすばらしさを改めて感じました。昨年は、サントリーホール1階の中央後ろで聴き、その他に代えがたい響きを堪能しましたが(指揮はエッシェンバッハで、ハイドン、モーツァルト、べートーヴェン)、今日、放送で聴いて、改めてサントリーホールでのウィーンの音は素晴らしいと思いました。深々としたきめの細かい木質系の響きはとても美しい。
そのウィーンフィルの音で武満の「ノスタルジア」が聴けたのは嬉しかったですが、ムターのヴィオリンは生温く、武満の厳しさとは無縁で残念でした。
武満徹はストラヴィンスキーと小沢のおかげですっかり世界的になりましたが、彼の唯一の師で、孤高の天才・清瀬保二の作品は、日本のNHK交響楽団さえ一度も演奏しないのですから呆れます(東京交響楽団は1988年にオール清瀬のプログラムを組みましたが)。
武田康弘
(※なお、わが国を代表する音楽家である小沢と武満と清瀬のことを書いたわたしのblogには、一万件の「いいね!」を頂きました。感謝です。)