思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

人類の歴史は変わる。ランキング思想は終焉。競争主義はアナクロニズム。

2016-10-25 | 恋知(哲学)

ノーベル賞にせよ、金銀銅メダルにせよ、日本の勲章?にせよ、
ランキング思想とは、競争主義=競争を原理とする秩序の形成にすぎません。

それは、思想としては稚拙(こどもっぽい発想)であり、人類の困難な課題を解決することとは無縁で、個々人を幸福にしません。
競争を原理とする文化・文明ではなく、深い納得を生む生き方が求められる時代になっています。

アナクロニズムに過ぎない競争主義と決別することは、心身全体での会得に基ずく充実した人生のためには必須です。

21世紀は、20世紀までの「客観主義」という狭く固いイデオロギーを超えて、主観性の豊穣、主観性の善美の時代になります。それは、芸術の分野では先取りされて現れています。

  

挫折、疎外感や不全感の克服としての芸術ではなく、健康な心身に依拠したエロースの芸術は、コパチンスカヤのヴァイオリンが見事に象徴していますし、東響のジョナサン・ノットのつくるパワフルで愉悦感ある音楽もまた、従来の暗さ・重さを脱したエロースの芸術です。

時代は、あらゆる分野におけるコンクール主義を嫌い、一位、二位、三位を嫌います。
各自の質の違いを楽しみ、その質の違いから深く自由なエロースを読み取り味わう世界に移行しつつあります。

序列主義の古い見方は、ほんとうによきものを生まず、人間を不幸にするだけ、ということがようやく了解されつつあります。
すべてが《型と序列の二文字》に収まる従来の日本文化では、大元からアウトです。これが人類文化の進み行きなのです。

従来のままではいつまでも「人間を幸福にしないシステム」の中に閉じこもり、人間は人間になれません。せいぜい優秀なサラブレッドになれるだけ。
エロースあふれる人間=自由と責任ある個人として生きたいものと思います。

文化・文明をチェンジです。それには、わたしの生き方=価値観を自由にすること。「私」の生き方が納得の生=主観性の豊穣に変わると、すべてが動きます。
競わないことが最大のよいを生むのです(クリック)。



武田康弘

 

 

 

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