思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

天皇も明仁さんという「個人」です。

2016-08-09 | 社会思想

以下の記事、昨日と同じで、FBコメントを加えたものですが、表題を変えました。

安倍首相の自民党憲法案からは、すべて「個人」という言葉が消され、ただの「人」に変えられていますが、これは、常軌を逸した異常な思想と言えます。

 

 

主権の存する日本国民の総意に基づく---時代に合わせ変えていくのは、わたしたちの責任。

2016-08-08 | 社会批評

 いうまでもなく、天皇という名で呼ばれる人も、誰ともかわらぬ一人の人間であるわけです。
 一人の人間にあまりに重たい仕事(日本国民全体を統合する象徴!?というのは、まったく不可能なこと)を負わせるのはおかしいと思います。時代名まで、一人の人間の死で変わってしまう。
 近代市民社会の成立とともに、そのありようを改革するのは当然でしょう。
天皇制」のありようを考え変えていくのは、われわれ主権者の意思=自由と責任です。憲法第一条に、象徴という天皇の地位は、【主権の存する日本国民の総意に基づく】とある通りです。
 みなで議論すべきことです。

 武田康弘

 

 

保田 猛 ブログで使用させていただきます。
 
 
鈴木 英男
 
鈴木 英男 まだ、本日のTVを見ていませんが。人を人として扱わないないのは、人の道に逸れていますし、何の権限もない職を持って天皇の職責だけを押し付けるのは、拷問に等しく感じます。
 
 
武田 康弘
 
武田 康弘 人の道に反することをやったり、やらせたり、というのがこのシステムのつくる困った作用。
 
 
鈴木 英男
 
鈴木 英男 美しい日本のシステム。美しい多数決。我が世に従いなさい。小さき者個人なり。
 
 
武田 康弘
 
武田 康弘 無限とも思える心の宇宙、個人なり。ニッポンの伝統??にっぽんのシステム、日本固有の美、ふ~~~ん、日本や世界という概念よりはるかに広い個人の心。
 
 
Toshirou Maruyama
 
Toshirou Maruyama 天皇は基本的人権を剥奪されており、職業選択の自由も、表現の自由もありません。人道に反する天皇制は廃止すべきです。
 
 
武田 康弘
 
武田 康弘 皇室は、日本最大の旧家として文化的存在として存続すべきであり、
公務を行ういまの天皇制は、主権在民の原理とは矛盾していますので、人権を認められない天皇という存在を許してしまいます。

天皇となる人間の個人的幸福をつくらないシステムは、時代錯誤であり、そういう存在を国民統合の象徴とするのは、異様な思想というほかないです。

皇族も皇族外の国民も共に、豊かな人「個人」になれません。
今回、明仁さんは、「個人」としてと明言していますが、それは、「個人がない天皇という存在」への違和感を表しています。

『個人』という人類が到達した最高度の意識=存在を肯定し前提としない極右(安倍首相ら閣僚の所属する「日本会議」)の思想は、人類的レベルでの犯罪であり、独裁国以外では認められていません。ドイツをはじめ民主政国家では、危険なカルトとして取り締まりの対象です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主権の存する日本国民の総意に基づく---時代に合わせ変えていくのは、わたしたちの責任。

2016-08-08 | 社会批評

 いうまでもなく、天皇という名で呼ばれる人も、誰ともかわらぬ一人の人間であるわけです。
 一人の人間にあまりに重たい仕事(日本国民全体を統合する象徴!?というのは、まったく不可能なこと)を負わせるのはおかしいと思います。時代名まで、一人の人間の死で変わってしまう。
 近代市民社会の成立とともに、そのありようを改革するのは当然でしょう。
天皇制」のありようを考え変えていくのは、われわれ主権者の意思=自由と責任です。憲法第一条に、象徴という天皇の地位は、【主権の存する日本国民の総意に基づく】とある通りです。
 みなで議論すべきことです。

 武田康弘

 

 

保田 猛 ブログで使用させていただきます。
 
 
鈴木 英男
 
鈴木 英男 まだ、本日のTVを見ていませんが。人を人として扱わないないのは、人の道に逸れていますし、何の権限もない職を持って天皇の職責だけを押し付けるのは、拷問に等しく感じます。
 
 
武田 康弘
 
武田 康弘 人の道に反することをやったり、やらせたり、というのがこのシステムのつくる困った作用。
 
 
鈴木 英男
 
鈴木 英男 美しい日本のシステム。美しい多数決。我が世に従いなさい。小さき者個人なり。
 
 
武田 康弘
 
武田 康弘 無限とも思える心の宇宙、個人なり。ニッポンの伝統??にっぽんのシステム、日本固有の美、ふ~~~ん、日本や世界という概念よりはるかに広い個人の心。
 
 
Toshirou Maruyama
 
Toshirou Maruyama 天皇は基本的人権を剥奪されており、職業選択の自由も、表現の自由もありません。人道に反する天皇制は廃止すべきです。
 
 
武田 康弘
 
武田 康弘 皇室は、日本最大の旧家として文化的存在として存続すべきであり、
公務を行ういまの天皇制は、主権在民の原理とは矛盾していますので、人権を認められない天皇という存在を許してしまいます。

天皇となる人間の個人的幸福をつくらないシステムは、時代錯誤であり、そういう存在を国民統合の象徴とするのは、異様な思想というほかないです。

皇族も皇族外の国民も共に、豊かな人「個人」になれません。
今回、明仁さんは、「個人」としてと明言していますが、それは、「個人がない天皇という存在」への違和感を表しています。

『個人』という人類が到達した最高度の意識=存在を肯定し前提としない極右(安倍首相ら閣僚の所属する「日本会議」)の思想は、人類的レベルでの犯罪であり、独裁国以外では認められていません。ドイツをはじめ民主政国家では、危険なカルトとして取り締まりの対象です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「なぜ塾の仕事をはじめたのか?」 中学2年生の質問5テーマ(夏休みの宿題)に応える。

2016-08-06 | 教育
 
①小さいころの夢
 
誠之小学校(文京区)の卒業式で、代表作文として紹介されてしまったので、みなに知られていますが(笑)、
招来の夢は、弁護士でした。社会的弱者を救う仕事として、政府に対抗するという意味でした。
クラブ活動は、「政治クラブ」(わたしが先生に頼んでつくってもらった)で、哲学的対話をしていました。
ただしその後、日本では行政訴訟は現実的に不可能であることを知り(必ず政府側勝訴となる仕組み)、また、司法試験の内容があまりにもバカバカしい丸暗記テストであることも分かったので、キッパリやめました。
ーーーーーーーーーーー
 
②仕事をしていてうれしいこと
 
こどもたちの精神的な進歩を目の当たりにすること(40年間でミニ奇跡が幾度も起きました)。
心の交流がたくさんあること。私塾は規則も評価もなしでほんとうに自由ですから、ありのままの子どもたちと交流できます。これ以上の幸せはありません。
ーーーーーーーーーーー
 
③仕事をしていてつらいこと
 
幼少期からの「子育ての歪み」がヒドイ家庭が多々あり、自分の関心や欲望を素直に現わせない子が多く(幼少期における「おどけ・ふざけ・悪さ・イタズラ」が肯定されず、型にハメられて育った子は、自発性=内発性を持てずに外=大人の要請ないし命令で動く人になっている)、
そういうこどもに「自分の経験をもとに自分の頭で考えて意味を掴む授業」を成立させるのは、極めて困難な仕事となります。その場合は、形式ではなく中身での人間的交流もできません。そのような子は著しくスキンシップに不足していますので、身体遊びも多用して全身をフルに使い「不可能事」にチャレンジしてきましたが、身体がボロボロになり胃潰瘍が再発し、ということが幾度もありました。
ーーーーーーーーーーーー
 
④今の職業を目指したのは・・・
いつ??なぜ??
 
1968年、高校2年生のとき、文京区の都立向丘高校の生徒代表として(各クラスの学級委員による選挙で全員一致で選ばれました)学校教育の改革の先頭に立って頑張りました。校長先生ら3名と生徒代表のわたし一人で2か月間話し合い、校則や授業内容を改革しましたが、そのわたしの考えは、NHKの『10代とともに』という対話番組に出演依頼されたので、そこでお話しもしました。また、10年以上たってからNHKは特集を組み「進んだ都立高校」として母校を連続で紹介もしました。
ーーーーーーーーーーーー
 
⑤中学生に、今伝えておきたいこと
 
情報の収集や整理でごまかさず、経験に照らし、自分の頭で考える習慣をもとう。
受験の勉強ではなく、「意味をつかむ学習」をし、「心の自立」=自由と責任をもつ個人になろう。
 
わたしの好きなこと=言葉は、試行錯語、創意工夫、臨機応変、当意即妙です。
 
 
 
武田康弘
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨晩(8月4日)の中1の授業ノートーー心=芸術=個人。

2016-08-05 | 教育

昨晩は、吹奏楽部に所属する中1の子供たちの授業でしたので、夏休みの特別授業として、教科の学習のほかに1時間、お話をしました。
一人の女子が、わたしの話を聞いてノートしてあるのを見ると、よく勘所をつかんでいるので、複写してみました。

テーマは、「心ー芸術ー個人」でした。

個人、個人の心こそが人間を人間にする最大のキーワード。
2500年前近く前に、ソクラテスと釈迦が見抜いた真理ですが、
日本はいまだその域に至らず(笑呆)です。安倍政権になり再び狂いだした「戦前思想」の日本人ではあまりに愚かです。


 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしは、昔からずっと思ってきました。

2016-08-03 | 恋知(哲学)

 わたしは、昔からずっと思ってきました。

  社会改革を唱える人たち(昔は社共連合とか言いました)の多くは、
人間的な魅力に乏しく、面白さ・楽しさが少なくて、いつも「正しい」理屈ばかり言うので、つまらないな~~、とね。

  ソクラテスの言葉で言えば、エロース(魅力・色気=惹きつける事象やその作用)に乏しいのです。

 生身の人間の本音やありのままの感情や思いを認めずに、押さえつけようとするので息が詰まります。それは、靖国思想(天皇教)をもつ今の安倍政権の人間たちも同じですが、彼らは、明らかに「イカレている」のが分かります。みな『日本会議』のメンバーで、天皇が神の系譜だとか、神話が事実だとかと言いますので、オウム教などと同じカルト宗教ですが、それを国家権力を用いて行うので「国家カルト」です。これをよいと思うのは、ひどく歪んだ人生を歩んだ人に限定され、まさに「不幸の意識」でしかありませんが、

  左翼とか改革派といわれる側もまた、ひどい権威主義(象徴的に「東大病ないし東大教」)で、理論のために人間が生きているかのような逆立ちした想念の持ち主が多く、辟易します。

 左右ともに、正しい型がある、正しい理論がある、正しい生き方がある、とまさに人間存在を物の存在と同じベクトルで考え、本質を存在に先立てます。ここにいる生身の人間の関心や欲望から出発して、何をどうしたらよいかを考えるのではなく、あらかじめ決められたパターンや理屈に人間を閉じ込めようとします。

 心身ともに、なにかしら問題があると思うと、〇△病という名前を付けないと不安に陥る!そんな人は、その典型です。

 なにごとも「縁」のものなので、ビクビクしたり、あせったり、苛立ったりせずに、
心身にせよ状況にせよ、それを受容して、そこから、さてと、どうしたら開けるか、面白くなるか、エロース豊かになるための発想と行為を工夫すればよいのです。
そして、やがて自然に「死」がやってきます。

 あるべきとか、理想とかを考え、語る人ほどうっとうしく嫌な人はいないな、わたしはいつもそう思います。いまを愛する心がないと、根本的な変革=エロース革命などできるはずがないのです。

 権威や理屈に従う人生を元から断たないと、「はじめの一歩」が始まりません。

 楽しく、生き生きと、堂々と、胸をはり、しなやかに生きたいですね。いつも遠く(空=雲)を見ると、気分が前向きになり、たくさんアイデアが湧きますよ~~~(タダで教えてしまった・笑)。自帰依ー法帰依です。



武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

41年目のこどもたちの「式根島キャンプ&ダイビング」ー写真

2016-08-03 | 教育

 この他の写真30枚ほどは、FBでご覧ください。

 やぶをこぎ、崖を降ります。40年前から丸一日を過ごす秘密のビーチは、手つかずの自然です。

東の空から昇るカシオペア座付近の銀河(天の川)とアンドロメダ星雲(230万光年離れたわたしたちの銀河とは別の小宇宙)です。
連日、よく晴れてモヤもなく、満天の星々。

真剣そのもの。こどもの集中力には、ただ感動あるのみ。  フェルメールの絵画のように美しい光(自画自賛)

 

 

14歳と64歳。わざと立腰で、相手十分の組手にしましたが、こどもとおとなで全然相手にならず、吹っ飛ばしました。大人気ないな~(笑)    
わたしは、かつて40代のときには、合気道日本一の22才の自衛隊員にも勝ちました(腰と尻の全身力が強いので)-自慢話です。

 夕日が沈むと同時に、写真の女性に「イルカが見えますよ~!」と言われ、見ると、大浦湾を横切るイルカが、言葉にならぬ美しさで感動!でも、写真が間に合わず、残念無念。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする