★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

晴耕雨読とは私のためにある言葉であろう。晴れても耕すとは限らんが。

2010-05-25 08:37:04 | 文学
5日の記事を見たのであろう、実家からイナゴが送られてきた→食べた。

大西克礼の「古典的と浪漫的」を読む→寝た。

浅野晃の『随聞・日本浪曼派』を読む→「このひと三・一五で捕まってるよな、何年まで生きてたんだっけ?90年か……。朔太郎を「悲歌慷慨」で片づけるとはイイ根性しとるのう~。えっ、神保光太郎の詩って教科書に載ってたことあったんだ。「狂へるニーチェ」かな、ちがうよな……」→寝た。

井伏鱒二「休憩時間」を読む→「立ち替わり教壇で演説ぶつとは、昔の学生も自意識過剰でどうしようもないな、で?井伏くんは教室のどこにいたんです?」→寝た。

アイヴスのピアノソナタ第二番を聴く→寝た。