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保田與重郎の「やぽん・まるち」は、もしかしたら彼の小説デビュー作にして最高傑作ではあるまいか。
とすると、後年の彼の批評もまた最高傑作のように思えてくるからやっかいである。しかし…
田島正樹氏が最近、「偉大さ」(http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52315133.html)という文章を書いていて、なるほどと思った。特にニーチェの解釈については、確かにそうかもしれないと思わせる。「世界には、価値がないどころではない。我々に知られていない、未だ輝かざるあまたの星々が存在するに違いない。それを見出すためには、精神や感覚の訓育(Bildung)が必要であるばかりではなく、ある種の戦略的パースペクティヴが不可欠なのである。ニーチェの真価は、このような戦略的パースペクティヴの開発にあった、というのが私の考えであり、キリスト教やプラトンに対する批判も、その戦略の一部として理解されねばならない。」このとき、たとえばチェスタトンやシュレーゲルについてはどういった意味づけをすべきか、という問題が私の関心だが、――たとえば保田與重郎の場合はどうか。「やぽん・まるち」の表現は、確かにルサンチマンとは違うものだと思うが、たとえば上の会津戦争の生き残りの人の軌跡と比較してみりゃどうか、という…。
だいたい「やぽん・まるち」は小説を読んでもどういう曲かわからん。しかし、保田にしてみりゃそこが狙いな訳で。とはいえ音楽をやっていた人に言わせりゃ、文学的興奮は音楽じゃねえよ、と身も蓋もないことを言うであろう。