★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

泣き乱す

2014-07-03 07:11:11 | 文学


「泣き乱しながら潔白主張」というニュースがあったらしいのだが、本当に「泣き乱す」という感じらしいのだ。だいたい私は、むやみに泣くやつは「女の腐ったようなやつ」であるという差別的教育を受けてきたので、泣くやつ一般を馬鹿にする癖がある。いかんいかん。もっと人の気持ちを考えなきゃ。

というわけで、人の気持ちを推測した結果、「泣き乱す」場合は、やっぱり何か自己利益のために泣いているとしか思えない。赤ん坊を見りゃわかる。演習で泣いているやつもだいたい嘘泣きである。最近は「利他性」とか言って、利己性のために泣くやつも出てきた。嘘泣きである。

かく言う、わたくしも、一回嘘泣きをしたことがある。


女性関係の言い訳である。

ばれていたので、事態は更に悪化した。

小ずるいことばかり横行する世の中、小ずるい赤ん坊を如何に……。わたくしが恐れるのは、「股肱の臣」のために赤ん坊を放り投げる玄徳みたいやつが逆に威張りはじめる事態である。赤ん坊は無力だということを忘れてはならない。

戦争といろいろの人

2014-07-03 06:16:42 | 文学


近藤ようこの「戦争と一人の女」漫画版を読んだ。ついでに、坂口安吾をいろいろ読み直してみたが、やっぱりいろいろとすげえね。「もう軍備はいらない」(昭27)とかも、いけている。戦時の強姦魔を「良心」ありとし、軍備を持ちたがる戦後の宰相をそれ以上の「キ印」とさらりと持って行く論述がたまらない。たぶん、こういうのに矛盾や戦後の非現実性、安吾のデカダンに対するアンヴィヴァレンツしか観ようとしない程度の「読解力」が問題である。まともな文学や芸術が機能しなくなると、そういう読解力が低い形式論理的な人々がのさばってくるものである。戦争を防ぐには、彼らを正気に返さねばならない。

今日、集団面接の練習につきあったが、読解力を使わないことをやっていると、本当に馬鹿っぽくなってくるのは誰でもそうだということが判明した。竹槍訓練みたいなことばっかりやりやがって。とはいえ、その竹槍を批判するようで、実際にやっていたらそれなりに面白くなってきてしまうのもある種の人間であろう。人情がないから、なんのシュミレーションも準備もなく、事態が差し迫ってから、人に文句をいいながら、その実やっていることは、事態の理解「のみ」であり、処世なのである。隣組の班長とかをついやってしまうタイプだ。安吾は、そんな人たちにはやや甘かったかも知れない。つまり彼はテッペンと下ばかり観ていた気がしないでもない訳である。

まあ、いずれにせよ、教員が戦争につい一生懸命協力してしまうのもよくわかったね……

……と思って油断していたら、自衛官募集にAKBが……いろいろな意味で、まさに「戦争と一人の女」状態がリアルに……

http://buzzap.jp/news/20140702-akb-cm-self-defence-force/