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ルカ十九章のザアカイの夢をみた。
ザアカイは、徴税人でみんなに嫌われていたが、イエスが来るというので見物しに行った。背が低いので、木に登ってみていた。するとイエスが「ザアカイよ、降りていらっしゃい。君の家に今日は泊まるよ」と言った。ザアカイは、すぐさま「人びとにだまし取っていたものを四倍にして返します」と言った。
ザアカイは、我々であり、私である。しかし、
夢のなかでは、ザアカイは安倍晋三の顔していて気の毒であった。我々は、彼ほど幸福ではないかもしれない。罪人であることを意識させられていないので、我々の人生は、ザアカイのようではなく、人知れず終わって行く。
……とはいえ、ルカの次のエピソード、「ムナ」の譬えはよく分からない。ザアカイにしても、ムナの挿話にしても、キリストは無為に過ごしている(ようにみえる)人びとを許していないのではなかろうか。