
1968年がなんちゃらとか言う人は言うのであるが、いずれ我々の世代が「1995年革命説」などを唱え始めるであろうから、わたくしが先に言っておこうと思う。ウィンドウズ95の年だからIT革命の年だという人は多いが、この年が、阪神淡路大震災、地鉄サリンエヴァンゲリオン、イチローコギャル私の卒論700枚、山本直樹ありがとう、の年であることは見逃せない。大学院に行ったせいか、この年の前と後では私にとって世界が違う。ちょうど山本直樹氏が『ありがとう』を書いたのもこの頃で、物語の最後に、急速に家族の「解散」に向かう流れは、何ものかに背中を押されているような切迫感がある。勿論、それはある種の気休めであることも言うまでもなかった。家族や父権が、簡単に安楽死するとはかぎらない。むしろ「死」によって復活するのである。言うまでもなく、家族も危機だったが、それ以上に社会が壊れて身近な「壊れた人間」の暴力を防ぎきれなくなっているからである。