
私立高校での研究授業を拝見する。見たところ、現場の高校の先生方はたぶんちゃんとしているのに、それを妨害するメンバーが世の中にいるのである。大学の教員と高校の教員が話してみると、生徒にとって必要なことが何かについてはだいたい認識が一致しているし、方法も分かっている。しかし、そこに思い上がった妨害者が妙な言葉や方法を強制してくるのである。もうはっきりしているが、そういう妨害者は実際には単に学や自己点検の能力がないにすぎない。だから人を強制して自己を形作るしかないのである。言うほどこのことを避けるのは簡単なことではない。年をとると自己を形作る空白を充実と錯覚するほどろくでもない記憶だけは溜まっているからである。
能力のない奴らが立場だけで人を恫喝する。立場と言ってもいろいろあるが、いよいよ家族なども立場になりつつあるので、もう若者たちに逃げ場はない。家族でも職場にでも全く同じ仕組みのハラスメントが起こっているのだから嫌になる。
いま私のゼミ生が、三島由起夫の、ニヒリズムについての小説を研究しているが、どうも三島はニヒリズムの半面しか観ていないような気がする。あと半面、――犬しかかからないようなニヒリズムの病があるのではないか。彼の小説での、犬の形象が問題であった。
昨今は、会議ですら全く無意味になっており、メンバーが重要である。だいたいメンバー表には、肝心な奴が抜けているくせに、パシリに使われているかわいそうな人たちがむりやり名前を書かされている。三島が私兵のメンバーを大事にした理由が分かる気がした。
大学で、学生が売ってる団子とアイスを食べる。うどんか何かを食している学生のと一緒に並んで食べた。和む。
良心ある事務官の人と立ち話する。
イカレた添付ファイルをみて世の中に復讐を誓う。