いまいち気乗りしない仕事をやっつけていると、ブランショの『終わりなき対話』の全訳がでるという情報が来たので、少し元気になる。
『3月のライオン』はいつまでやるつもりなのか知らないが、最初の方の不幸の連発による破滅を「ありがとう」みたくやれないこのご時世、かかる物語を終わらせるには、
ノーベル文学賞は、村上春樹ではなくボブ・ディランだったらしい。やはり村上は今からでも遅くはない、安倍晋三とドナルド・トランプに激しく喧嘩を売るしかない。村上春樹は世界で人気だとかいうけど、あの内容を「日和りやがってさすが日本人」とか思っている人がどれだけいるかもうちょっと考えた方がいいのである。外国語に訳すとあの脱力した緊張感がどういう風になってしまうのか分からんから何ともいいがたいのであるが……。ちなみに、ボブ・ディランは、「風に吹かれて」しか知らなかった。ごめんなさい。なんか、今聞いてみるとソ連の人民がうたってるような抑鬱感がありますね……。アメリカの50年代はたぶん最悪だったんだなあ……
ていうかボブ・ディランは文学か?文学関係者は何様なんだ民衆音楽を馬鹿にすんのか!だいたいポリティカルすぎるだろが選考が!いつもそうだろ!AKBの歌詞とどこが違うんだ!違うに決まってるだろ!文学研究者は音楽研究に侵入してくるんじゃねえよ!音楽研究とか旧態依然としすぎなんだよいまはゲーム研究だよ美学だよ!クラシック音楽に対するコンプレックスお疲れ様です!ボブ・ディランはさっさと電話に出ろよ!夏目漱石と比べてどうよ!時代が違うんだよ!大衆小説と大衆音楽の区別を説明せよ!素人は音楽を語るなよ!
というかんじのいつもの争いがいま起こっていると思うが、とりあえず、文句を言う前に