★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

グエムルとリベラル

2017-01-04 23:20:54 | 文学


大江健三郎の『洪水は我が魂に及び』を再読していたら、こういうことを思い出した。

以前、もはやリベラル側に押し込められている――宮台と小林と東の『戦争する国の道徳』の中に、人間は犬猫と違って目に見えない物を恐怖するのだという指摘があって、まあそんなものかなと思った。無論、議論は、小林よしのりの「見えるもの」の描き方、宮台の独特な荒っぽい抽象的な表象能力などについてであって、ほとんど修辞学の世界に近づいていると思ったが、それはともかく――、わたくしは、韓国映画の怪獣映画『グエムル』が好きで、ゴジラや(盗作騒動で比較された)パトレイバーの怪獣映画と比べて、我々の世界の見え方の性格を思い知るからである。特に、執拗に続く長雨の描写は独特だと思うし、陸に上がってきた怪獣に米軍の毒ガスが浴びせられ、デモ隊や主人公たちがまきぞいをくうあたりから、非常に美しい場面になっているのが面白い。ドイツの森や日本の山の霧とも違う、湿っぽい感じである。最近、アメリカの属国化がますます進む日本であり、デモも盛んに行われているから、この映画に共感する人は増えたと思うが、それにしても、日本映画でこんな感じは出ないのではなかろうか。わたくしは一応、「人間は犬猫と違って目に見えない物を恐怖するのだ」といった指摘を支えるイメージについて考えているのである。