★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

御嶽海がんばれ

2017-01-11 23:29:40 | ニュース


御嶽海が二横綱をやぶって好調である。勢い余って優勝してください。木曽には他にいいことないので……

共謀罪つくらなきゃオリンピックができないとか言っていた人がいたそうであるが、そんな危険な行事ならもうやめた方がよかろう。

天皇退位云々の議論が始まったばかりなのに、なぜ元号を変える期限が発表されているんだよ、だれだよ、こういうことを発表させているバカは。

元号が中国の古典からとられてきたことさえ知らなかった輩が何か悔しそうに日本語からとった方がいいとか言いたげなのだが、この際、皇紀にもどせとかいうすっとこどっこいが出現するであろう。わたくしは、源氏物語が好きなので、「桐壺」からはじめて最後までとりあえず順番につけてみることを提案したい。「花散里15年」とか「澪標45年」とか、もうどきどきしてくる。「蛍5年」とか「若紫8年」とかほんといいことありそうである。最近、日本はどうかしているので、いっそのこと「はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた」なんかどうであろう。年数を重ねるごとに自虐的になって行くという仕組みである。

「最終的、不可逆的」とかいう約束が破られているようであるが、「存在論的、郵便的」(逆だっけ?)とかいう題名に比べて、なんという柔軟性のなさであろう。そんなもん、むずむずと破ってやりたくなるではないか。

成人式にでているカブいている若者たちが、あんがいいいやつだったとか報道されていたが、当たり前ではないか。成人式なんかに集まっている時点で従順な輩である。本当の悪人は、成人式には行かず、靖国神社やコミケや国文学研究室とか政治塾に行っている。