『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』
当時、どのような受け止められ方があったのかはよくわからない。前半はまるでロードムービーのようなかんじの映像のなかで、革命戦争は現実だ、とかいう台詞が重ねられている。しかし最後に、重信房子が登場して独特な息の長いフレーズを駆使してしゃべり始めるとぎょっとする。ここで映像と言語が一体となった印象を受けるからである。映画は、プロバガンダの最高の形態は武力闘争である、なぜならプロレタリアートの言葉はその闘争として表現されるからだと主張していたが、それはいささか間違っている。プロパガンダは言葉の闘争であり、言葉をあやつる者の姿の闘争である。わたくしは、当時の運動に、現実の反映的表現としての映像に対するある種の過大評価があると同時に、言葉に操られる映像の過小評価があるような気がしているのである。