★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

代官稲荷(山村稲荷)を訪ねる(長野の神社3)

2018-01-03 19:04:15 | 神社仏閣


前日、山村代官屋敷の前にあるこの古地図通りに山を登りかけてしまった訳だが……ちゃんと敷地内に移されていたのであった……

案内板に曰く、

「この祠は、8代代官山村良啓公のときに建立されたもので、それ以降山村家の護り神として、代々丁重に奉られてきました。」

狐が守り神なのであった。なぜか言えば、……

「御神体について9代良由公は、「その昔、日本国に降り給い帝都まで駆け巡り宮々を輝くばかり安泰に案じ給うた。神の化身である白狐様が、神の代わりに人々の提訴を聞き判断を仰げば、たちまち英断が下され人々はその判断に従った。」と記しています。今でも火難、病難除け、商売繁盛の霊験あらたかな神として庶民に崇敬されており、また酒を好む神としても言い伝えられています。」

確かに、もう狐を神の化身として扱っていることがわかります。もともと狐は稲荷神の使いなので神じゃないんだが、だいたい、「神の代わりに人々の提訴を聞き判断を仰げば、たちまち英断が下され人々はその判断に従った。」という言い方はほとんど夢としての代官のセルフイメージかも知れず、お偉方の使者はお偉方扱いになるという、お偉方及び庶民の病気がここでも発症。まあいいか。可愛いし。丁度山村がここらを仕切っていた江戸期に商売繁盛の神として流行ったのが稲荷信仰。この町にも、結構あります。木曽町が商業の町の側面を持っていることの表れかも知れません。

「館内には、安永5年(1776年)ここに稲荷を奉納するという勧請書が現存します。」


以前見物した時にあったかな……

そういえば、わたくしの記憶では、ここでは狐のミイラが御神体であった気がする。



そう言われれば思い出しました、昔習った狐の昔話を……。

ここにかいてあります。「木遣をうたう狐」

http://minsyuku-matsuo.sakura.ne.jp/mukasibanasi.htm


城山に住んでいた白狐は「おまっしゃま」と呼ばれ木遣唄がうまかった。その歌が遠くに聞こえた時は平時な時で、近くで聞こえる時は町で災いが起きるのであった。冷静に考えて、この狐がいっとう怪しい。悪さをしていたのはこの狐ではないでしょうか。そして、この狐、どうみても木遣り歌を歌えるところから判断して「人間」だと思います。

あるとき、代官が城山に出かけると近くで歌が聞こえたので、見張りを厳重にしたのであった。そして、クライマックスはこの後から、上のサイトから引用します。

「大変じゃ、ゆんべ千両箱が盗まれましたぞ」
とのお蔵番の知らせである。
代官様はすぐ家来に山狩りを命じた。
「こんなに時がたってから山狩りなんぞしたって。今頃盗人がうろうろしとるわけがない」
家来たちはぶつぶつ言いながらも、仕方なく山狩りを始めた。
ところがどうだ。
城山の頂近くの、古い檜の大木を千両箱をかついで汗だくになりながら、ぐるぐる回っている男がいるではないか。
                  
家来たちは難なく、その男を捕まえ、代官屋敷へ引きたてて来た。
そして男を調べてみると
「どうもおかしなことで、実は二晩この床下ですきをうかがっておりました。
すると昨晩、家来の衆が全部町へ見回りに出かけましたので、そのすきに千両箱を盗み出しました。
しかし逃げても逃げても城山の外へ出られません。
はい、ここがおかしなことで、狐に化かされたんでございましょう。
気のついたときは、一本の木をぐるぐる回っておりましたんで」
この話を聞くと、代官様も家来も
「おっしゃまが、屋敷を守ってくれたんだ」
と喜び合い、お稲荷様へお参りをし、油揚げを沢山お供えしたもんだ。


「古い檜の大木を千両箱をかついで汗だくになりながら、ぐるぐる回っている男がいる」……、どうみてもPDCAサイクルを死ぬまで回しているタイプであります。で、言い訳は「狐に騙された」。今で言えば「文科省や安倍に騙された」でしょう。代官も「おっしゃまが屋敷を守ってくれたんだ」じゃねえよ。いまなら「日本に北朝鮮が攻めこれないのはわれわれの文化がすごいから」みたいなもんです。「油揚げ」……、狐は肉食というのがまだわからんのかいっ

城山というのは、代官屋敷の裏山で……



ちなみに上の向かいの関山……↓




関山の傾斜にも稲荷がある。いまでもちゃんとお参りする人がいる。

そんな五月のある日、頂上近くの古い檜の大木の元で遊んでいたおっしゃまは、彦七という大工にうたれて死んでしまった。そして次の年の五月に福島は大火事に見まわれ、大工彦七の家も焼けてしまった。
あとでよく調べてみると、それは一年前狐の死んだ命日であったという。

こわっ、おまっしゃまの祟りこわっ。ここから判断して、例の「ごんぎつね」も、兵十に撃たれてから、彼の家を含めあの村を焼き払ったに違いありません。「ごんぎつね」に涙している日本国民の皆さん、もういい加減に目を覚ましたらいかがでしょう。これが明治以前の日本、ひいてはグローバルスタンダードというものであります。

その大火事の中でも代官屋敷と、城山はお稲荷様に守られてか無事であった。

というか、そこまで普通焼ける訳ないじゃないか、そこまで焼けたら木曽町全体が火の海じゃ。御嶽まで燃えてまうわ。

しかし狐のうたう木遣は二度と聞くことができなくなってしまったという。

理由=彦七が撃ち殺したから。

しかし、われわれは、この日、関山の麓の関所のあたりをあるいていた時に、怪しいものを見付けてしまったのであります。



おまっしゃまは生きている!!!(たぶん、この足あとは、今年の干支の奴のような気がする