★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

廣田八幡宮を訪ねる(香川の神社16-3)

2018-01-04 15:03:10 | 神社仏閣


あけましておめでとうございます。たぶん、うちはここの氏子ということになっているのではなかろうかと思うので、郵便局に行くついでに廣田八幡によっていこうと思いましたが、なんだか初詣の人たちがたくさんいたのでやめときました。随神門よりも外側にある、平成一三年の狛犬で勘弁して下さい。

権現水を訪ねる(長野の神社4)

2018-01-04 12:26:57 | 神社仏閣


権現水は、権現滝からきている水場。権現滝は、城山の上の方にある滝である。木曽義仲が平家殲滅をめざして出陣する前に、御嶽大権現を勧請して身を清めた滝と言われている。小さい頃に何回か行ったことがある。近くで見ると、なんだか恐ろしい滝であった印象がある。――それはともかく、権現様の怒りのおかげで、平家の武士や女の子はたくさん海に沈んでしまった。滝が海に勝ったのである。山が海に勝ったと言ってもよい。というわけで、西行の負け惜しみの歌↓

木曾と申す武者、死に侍りけりな

木曾人は海のいかりをしずめかねて死出の山にも入りにけるかな


この生臭坊主がっ木曽の山猿を馬鹿にするのもいい加減にせえ




と思って、近くを見たら、「郵便ポスト 義仲くん」。現代人にも義仲に対する尊敬がまったく感じられない。たぶん罰が下るはずである。

長福寺を訪ねる(長野の寺社3)

2018-01-04 12:10:43 | 神社仏閣


臨済宗妙心寺派の龍源山長福寺。木曽町福島にあり。18年間もそばに住んでたが、行ったことはなかった。

 

この寺はもともと飛鳥時代には創建されていたらしいが、七〇〇年後、木曽豊方(義仲の子孫らしい)が竺陰禅師を呼んで中興、――がっ、そのあと荒廃。戦国時代に、木曽義元が群馬県からやってきて、義仲の末裔っぽくがんばっていた。ついでに、信叔禅師を招いて臨済宗妙心寺派に改宗開山。しかし、前の記事にあるように、木曽氏はあれこれあって千葉に移ってしまった。その後は、山村氏がこの寺にお金を出していた。がっ、昭和2年の福島大火で多くのお堂や宝物、記録などを焼失。木曽義仲が出陣したときの太鼓なども燃えたらしい。まあ、ただの太鼓ですよ。しかたがない。なんとも、狐の祟りは恐ろしいですね。

境内には真理ちゃんの夫が建てたといわれる武田信玄の墓碑がある。はあ、義理のおやじに気を遣ってかわいそうだな……。娘使って木曽を占領してただけじゃねえか、武田はよ。





 

案内板によると、長福寺は、木曽の庚申講の中心だったそうである。庚申信仰はいろんなものが習合していると言われていて、もはや仏教だか神道だかわからないが、明らかにインド系とみられる青面金剛像に例のお猿がくっついていることが多い。猿田彦の影響かあるだかないだか、いろいろ言われているが、問題は、猿だか狐だかがそこらにいたということだ。われわれは、彼岸への媒介物を常に求めるのである。昭和二年の大火の時には猿が一匹焼け残っていたのであるが、昭和五五年になって三匹復興したらしい。



これですね……