★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

rigor

2018-01-26 18:04:34 | 文学


冬の空は不気味だなあ…。昨日寝る前に、筒井康隆の「ダンヌンツィオに夢中」を読んだので、リゴリズムについてあれやこれやと夢想する。

これは割と知られた三島由紀夫論であるが、読後感はあんまりよろしくない。この評論が書かれたのは89年でわたくしは高校生。まだまだトーマス・マンと安部公房がどっちが正しいかなどと、ラッパを吹きながらぼーっとしていたころであるが、なんとなくこういう評論の調子こいた感じの影響を受けているような気がする。前にも書いたが、文体は、読んでなくても影響を受けることがある。つまり、文体というのは、個人のものというより空気に近いからである。筒井康隆がちょっといやだと思うのは、――こういう文章を三島由紀夫を茶化して終えてしまうところで、せっかくダンヌンツィオと比較してるのに、最後はダンヌンツィオに対してちゃんと壮大な笑いを提供してくれたまえよ、と思うからだ。要するに、東条英機は誰も馬鹿にできるが、ムッソリーニはそうはいかないのが我々の文化的困難である限り……。わたくしは筒井ほどの芸当もできないが…

授業で、モンティーニュをちょっと扱ったときにも思ったが、我々に必要なのは、一辺倒でも両辺倒でもなく、リゴリズムの方ではないだろうか。