
時雨する稲荷の山のもみぢ葉はあをかりしより思ひそめてき
今東光が確か『毒舌日本史』のなかで、和泉式部というのは最高の女だとかなんとか言って、熊野参りの時に生理になったことを歌に詠んだり、伏見稲荷に参った時に蓑を貸してくれた農夫とベッドインしてしまったからだとか、言っていた。こんなエピソードを語るとき、今東光は実に下品だがさすがに転向を繰り返してきた御仁だけあって、羞恥心に溢れた何かが感じられて、――昨今の偽書まがいの歴史書で一儲けしている人とは教養も何もかも違う。
要するに、破戒坊主と生臭坊主との違いである。
今東光のように、ヘッベルとかハックスリの言葉をさりげなく引用できなければわれわれは生臭坊主からは脱却できない。
この前、PDCAサイクルに耽溺している大学を真面目に論破した紀要論文を読んだが、ちょっと真面目すぎる気もしないではなかった。そんな真面目さがいったんは必要な情況であることは確かである。しかし、ウンコの成分を解析できたからといって、ウンコにウンコ野郎と言っても意味はない文学的問題はいっこうに解決しない。現在のわれわれの問題はそこである。
「傍へ寄つて來ちや駄目だつて言つたら。くさいぢやないの。もつとあつちへ離れてよ。あなたは、とかげを食べたんだつてね。私は聞いたわよ。それから、ああ可笑しい、ウンコも食べたんだつてね。」
「まさか。」と狸は力弱く苦笑した。
――太宰治「カチカチ山」
太宰は、「力弱く」というこころに批評を込めてしまうので生き延びた。しかし、生き延びれば良いというものでもないようだ。