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コンビニで『黄昏流星群』が売られていたので、ついその商売にひっかかり買ってしまったが、――しかも読んでしまいました。
テレビでドラマをやっているので売っていたのであろう。
黄昏流星という題が、はやくも悪意丸出しであるが、作者は島耕作かなんかの作者なので、しょうがない。島耕作は読んだことがないのだが。と思ってみたのだが第一巻だけ読んだことがある。なんだか調子こいた若い社員がいろいろな人とベッドインしまくるまんがだった記憶する。光がない源氏物語みたいなものであろう。これが、社長とか会長にもなるらしいので、誠にリアリズムである。
先日、NHKで山一証券破綻の特集をやっていた。破綻のまえ、社員たちは出勤するとトイレで呻いたりしてたそうである。島耕作にもそういう場面があるのであろうか。知らんけど。
学生のレポートをみていると、学生たちが自分たちを「一般人」として自己規定しているのをよくみる。そういえば、「黄昏流星群」のなかでいけ好かない大蔵官僚がでてきて、主人公が彼を殴ったりする。確かにわかりやすい場面である。一般人や大衆がそれ自体で「善」であるならば。
学生のレポートの変遷を観察すると、「蟹工船」なんかを、昔の教条主義者もびっくりの調子で批評する類を目撃したのが、十年ぐらいまえで、そのあたりからプロレタリアートでない者までプロレタリアートのような面をしてモノを言うような風景が見られるようになってきた。まあ、自覚が先にあったのではなく、言ってからそんな気分になったというのが正確である気もする。プロレタリア文学の発明した?「労働者」はいまも亡霊として強力である。
我々はかかる錯乱を起こしたまま黄昏れることはできない。必ず馬鹿にされて終わるというのが歴史の必然のような気がする。むろん、島耕作の作者みたいな行き方もありなのである。その表面的な推移が妙にリアルである。そんな描き方が重要だということを忘れると……。