良くない兆候である。
若山隆の「出しやうのない手紙」(『コギト』2)は、内気で夢見る乙女時代にラブレターをもらったけれどもあれこれ考えているうちに逢い引きにゆけず、そのまま平凡な結婚をしたらしい人妻が、ラブレターをもらった相手に「出しやうのない手紙」を書いている体の話で、太宰治っていうのは少女の一人称の小説が妙に上手いけれども、若山のような人でもなんとか雰囲気は出せるものだと分かった。よくわからんが、ヤクザと内気な文学少女というのは案外演技が楽なのではないか。
若山の場合は、最後に「それから」の三千代に言及して、彼女とは違うみたいなことを言わしているところが、「友情」的な目的意識導入の夢(違うか)を夢見ているところが古い気もする。太宰だったら、「もうやってしまいました」というところから始めるか、「いじわる」とかを連発して読者を拐かす。もはや不倫自体はどうでもよくなるのである。
硬化した私の感情の泉を爆発さして、いただけないでせうか。
ここがよかったのと、友達が「Rちゃん」なのが案外モダンな気がする(違うか)