
今年も読書三昧のアカデミック中年であった。順位はあまり拘らんが適当にあげてみよう。今年は書評を何本かやって印象に残ったものもあったがそれらはちょっと除いておこう……
10、メニングハウス『敷居学』……懐かしさのあまり読んでしまったといえよう。
9、吉本隆明『いまはむしろ背後の鳥を撃て』……『テロルの現象学』の人ってやっぱり吉本の影響強かったんだなあ……
8、筧克彦『皇国精神講話』……むしろ「職分論」であるところがいやだな。いやだねえ、働け働けって……
7、外山恒一『全共闘以後』……今年一番の本かもしれない。このひとのおかげで、連合赤軍以降も戦ってきたぜと言い張るバブルの人たちが続出。なわけはないのだが、この本の誤植騒動といい、最近の一〇〇田さんのあれといい、大学入門ゼミはもっとしっかりせにゃならんな……。しっかり落第させとかんからいかんのだ。
6、落合陽一・清水高志・上妻世海『脱近代宣言』……どうでもいいけれども、本の装丁でエヴァンゲリオンぽくするのやめてくれませんかね……。面白かったのは、犬が嗅覚の世界で生きてていわばインターネットの世界で生きているようなもんという主張である。確かに犬野郎には多いよそういうのが。
5、津久田重吾他『いまさらですがソ連邦』……ソ連の軍大学に入るのには、猛烈な受験勉強が必要で、実践訓練がおろそかになりがちだったとか。もはや日本だけなんじゃないのか、大学では座学じゃなくて実践だとか言っているのは。しっかりしてくれよ……。
4、ゲンロン『マンガ家になる!』……楽しかったな。
3、ドゥルーズ『千のプラトー』……ちゃんと読んでみたぞ……。浅田氏や千葉氏の解説をよむ分にはあまり動揺しないが、やはりこんな文章を長々と書いてるドゥルーズはもはや手術後の人間に近い。病気で寝ているときにこの本が少し分かった気がしたのである。
2、『宇治拾遺物語』……とにかくこういうのを大量に読んでおかなくては國文人間とはいえない。村田沙耶香の「コンビニ人間」は、ある意味でこれからのアイデンティティを予見している。われわれは、本質としての人間はあきらめた。実存なんかはあるかわからん。「箱男」とかもちょっと飽きたぜ。単語にとにかく「人間」をくっつけるのだ。
1、『伊勢物語』……昔男をわたくしはついに夢に見た。11月3日のことである。晴れていた。
0、上妻世海『制作へ』……街をうろつきながら、ヴァレリーの制作原理論のせりふを反芻していた二〇代を思い出した。二〇代の著者の本である。二〇代の「制作論」はいつも思いあまって抽象の夢を追う。しかしわたくしは「木漏れ陽がぽかぽかと身体を温めてくれて、とても気持ちがいい」とかはもう書けない。考えることは血圧のこととかだ。