手塚治虫に『よろめき動物記』という作品集がある。東京オリンピックの年に『サンデー毎日』に連載された作品で、オリンピックをからかった作品がいくつかある(「犬」や「カッパ」、「サンマ」)。手塚は、見開き二ページでもちゃんと話が落ちていて、すごいと言わざるをえない。みんなが言うことだが、手塚漫画の面白さは、画の面白さもあるが、頭のいい話を読んだときの面白さである。『ブラックジャック』ってちょっと説教臭くてあまり好きじゃないが、とてつもない能力だなとは思うのである。
とはいっても、やっぱり手塚の本領は、『アドルフに告ぐ』とか『火の鳥』とか『ブッダ』みたいな、まるで「世界観」の交響曲みたいな長篇にある。宗教的と言ってもいいかもしれない。無論、手塚のSF好きはそんなことと関係している。
ただ、そういうときに、上のオリンピックをからかうような問題を長篇でなかなか展開できないのではないかと思うのである。
小説家や漫画家も含めて、われわれにはどうも苦手な分野というものがあるのではないか。
この前、『実録・連合赤軍』についての『情況』の特集を読んでいて思ったことでもある。つまり、我々はネチャーエフ事件みたいなものを『悪霊』に仕立て上げる文化をもっているのかということである。オリンピックも、テロ事件も、日韓の争いもこれに近い問題なのではないか、とわたくしは思うのである。これらは宗教やSFではない。苦手な科目は、頭が働かなくなる前に勉強あるのみだ。