林博史氏のファシズム論を読んでいたら、新官僚や革新官僚の話が出てきて、彼等の一部にとって、警保局に人気があった安岡正篤への反発がある段階で問題であったことがわかる。安岡氏の膨大な著作についてはあんまり読んでなかった。ユーチューブにあがっている晩年の安岡の講演なんかをみると、なんとゆっくりな思考であろうとしか思えず、こんなひとをありがたがっていた連中が多かったのが不思議でならなかったのが原因である。しかし、考えてみると、こういうあんまり主体的ではないような革新的でないような感じで癒やされていた可能性はある。癒やされた後は、自分の仕事にやんわり戻ればいいのである。ただ、なんとなく使命を感じるみたいな状態になっておればいいという――、彼が当時の誹謗通り「高等口入れ屋」であり得たのかは知らないが、ただ単に、三十そこそこの陽明学者の指示を受けるほど当時の政治家がナイーブだったととも思えないのである。
例えば緋田工(例の『特高必携』のひとである)なんかの著作を見ると、そこからは、「ちゃんとしようぜ、ちゃんとしようぜ」「きちんとしようよ、きちんとしようよ」という学級委員長みたいな声が聞こえてくる。彼等の前には、不法矯激な右翼と左翼が、農村、軍、をはじめとして、そこらじゅうににょきにょきと生えてくるのだ。安岡氏も言っているように、確かに、国内のごたごたが国外に波及したのが、満州国以来のあれであったのかもしれない。氏は満州国にふみとどまっていりゃいいものを、みたいなことを言っていたが、――そんなことが可能だったかどうか怪しいのだが、氏の言っているのは、自分自身に留まる勇気みたいなものであるだろう。学級委員長は、点数をとるみたいな能力が有能すぎて、つい自分から離れてモグラ叩きをやり始めてしまうのだ。所詮、自分の真の姿を忘却した委員長のあれである。学校に来る前に、クラスのみんなにはそれぞれ歴史がある。個性ではなく、歴史があるのだ。
前にもどこかで書いたけれども、中国や朝鮮にも社会主義みたいなイデオロギーと機構以前に、自らのナショナリズムへの戦いがある。それは完全に日本とおんなじである。しかしそれはつねに自分に留まることをせずに、外に流れでてしまう。そういうときになぜか何処の国も、国民自身が学級委員長みたいな性格になってしまうのが不思議だ。
エイゼンシュテインの「十月」(1928)なんか観ると、レーニンだけじゃなく民衆や軍人が、委員長みたいな顔をしている。こりゃ確かにプロレタリア独裁みたいなものが可能かと思われてしまうのであるが、――我々はみな、自分を勘違いし続けるしかない劣等生なのだ。なぜそれを忘れてしまうのであろう。