★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

もうやめる

2019-08-09 23:39:52 | 思想


佐伯啓思氏の『自由と民主主義をもうやめる』は最初と最後しか読んでいないが、最後に第五章として「日本を愛して生きるということ」があり、日本浪曼派や西田哲学が紹介されている。この本は極めて「啓蒙的」な本なのでしょうがないのかもしれないが、こんな平べったいの日本の再評価なら、戦前のかなり本気の皇国哲学の方がまだパッションだけはあると言わざるをえない。いや、この人たちのパッションはちょっとあれな感じが入っているので、――せめて保田與重郎のような、文学に淫するがごとき調子が必要な気がするのである。問題は、氏の思想のなかに文化に欠かせない「淫」的なものが欠落していることである。

それに『自由と民主主義』を『もうやめる』はまずいのではないかと思うのだ。自由と民主主義を観念だとすればそうであろうが、そんなことはない訳で、それは佐伯氏が必死に見出そうという一筋の細い我々の文化が、無意識みたいな水脈ではなく、ある程度観念だということ同じである。「文化芸術活動を行う者の自主性及び創造性を十分に尊重し、その活動内容に不当に干渉することのないようにすること」(「文化芸術基本法」)。やめるべきなのはこういう干渉で、こういう法の支配を「もうやめた」と言って貰っては困る。もうわれわれの生き方の問題まで、自由と民主主義とやらは食い込んでいるんではなかろうか。

わたくしに直ちに新たな『平家物語』を作る能力があれば良いのだが、せめて――という訳で研究と神社仏閣のフィールドワークに勤しんでいるのであるが、そのなかからなんとか自分の姿の輪郭が少しあらわれてくる(に違いない)のである。とりあえず、日常の怠惰をやめて一歩を踏み出すしかない。現場や実務から認識が自然発生すると思っているバカは、怠惰であっても「自由と民主主義」や「文化」が生じると思っている唯物論者というか観念論者である。問題は、実践(創作や研究)をしているかどうかである――と思うよ。ちなみにわたくしが日常にやっている授業なんかは、そのなかでなにかがないわけではないだろうけれども、日常の怠惰の一部に過ぎず、労働である。考えてみると、なぜそこには「もうやめる」という選択肢がないから。――実践的ではないのであった。

だから『自由と民主主義と、もうやめる』ぐらいの題名の方が、なんだか虚無に直面した実践的な感じがしてよかったのではなかろうか。これこそが、佐伯氏が西田からうけとった――人生の意味さえも全てが「無」によって支えられているあり方ではないか。

なんという虚無! 白日の闇が満ち充ちているのだということを。私の眼は一時に視力を弱めたかのように、私は大きな不幸を感じた。

――梶井基次郎「蒼穹」

そういえば、わたくしはなぜ梶井がこんなときに「大きな不幸を感じた」のか全く考えていなかった。迂闊であった。梶井がもう少し生きていたら、谷崎のようなエロティズムを身につけ、芥川龍之介なんか目じゃない作家になったのかもしれないのに。

八幡神社を訪ねる(香川の神社194)

2019-08-09 16:55:13 | 神社仏閣


八幡神社は下田井町。昔ここらは川添村といった。村社がこれである。長い参道がある。その周りは畑があり、――こういうのが神社という感じがする。



着きました。





日露紀年の注連石……。日露戦争は勝って?からこういうのを建てているうちに、もうその意味はどうでも良くなってしまったのだ。「三韓征伐」と同等の神話的歴史となってしまったのである。




ありゃりゃこれはもうはっきり書いちゃってるな……

 
狛犬さん

『香川県神社誌』によれば、慶長の頃できた神社らしい。新庄長光という人が八幡を崇拝していたところ、

「一夜枕頭に松樹高さ十余丈なるもの生じ、樹上に八幡大神現れ給ひしを夢み、氏を高松と改む。」

えっ、それで高松っ

「子長重豊臣秀吉に従ひて朝鮮の陣に加はり戦功あり山田郡田井郷に居る。」

あーこのころ朝鮮に由縁ありか……

「或る夜、六条村貢原に八幡宮をあるを以て適地に遷すべしと夢告あり。往て之を求めしに果たして神像ありしかば、慶長四年を以て祠を下田井に建てて之を祀ると云ふ。下田井八幡宮と稱へらる。」

となりの六条からもってきてしまったか……。それにしても、神様ってよく移動するよね……。うちの田舎(水無神社)みたいに、山を越えてぶん転がして持ってくるよりはましか。

「一説に當社は天正年間貢八幡宮兵火にかかりしを以て下田井に遷座せしなりとも云ふ。」

結局、よくわかんないんですね……

「七月七日祭禮の節 田の中に棚を架して酒食を薦むるに、雌雄の鴉その頸白く、大さ鳩の如きものありて當社より飛来して之を食ふ。若し食はざるときは更に棚を架し酒食を改めて再三に及ぶ。俗に之を御當具烏云ひ神使なりと云へりとあり。」

厳島神社でも有名な、所謂御烏喰(御當具烏)神事ですね。飛んでくるまで頑張って旨いもんを並べていたんですね……。日本の烏はこんな神事によって甘やかされたもんだから、近代になってもこちらがおいしいものを出してくるのを待っています。

やかましく鳴き叫びながら、空に群がっている烏は、やがて、一町ほど向うの雪の上へおりて行った。
 兵士は、烏が雪をかきさがし、つついているのを見つけては、それを追っかけた。
 烏は、また、鳴き叫びながら、空に廻い上って、二三町さきへおりた。そこにも屍があった。兵士はそれを追っかけた。
 烏は、次第に遠く、一里も、二里も向うの方まで、雪の上におりながら逃げて行った。

――黒島傳治「渦巻ける烏の群」




すばらしい本殿




地神さん


若宮神社

 
その他の地神さんたち