その後は何となくまぎらはしきに、物語のことも、うち絶え忘られて、物まめやかなるさまに、心もなりはててぞ、などて、多くの年月を、いたづらにて臥しおきしに、おこなひをも物詣をもせざりけむ、このあらましごととても、思ひしことどもは、この世にあんべかりけることどもなりや、光る源氏ばかりの人は、この世におはしけりやは、薫大将の宇治に隠しすゑ給ふべきもなき世なり、あな物ぐるほし、いかによしなかりける心なりと思ひしみはてて、まめまめしく過ぐすとならば、さてもありはてず、
「あな物ぐるほし、いかによしなかりける心なりと思ひしみはてて 」は、これは反省というより結構絶望的な心情だとおもう。だからその絶望が、そのまま「まめまめしく過ぐすとならば、さてもありはてず」という状態の原因であるかのようにみえる。これを元文学少女のアンニュイととるべきではない気がする。いまだったら、夫や親などによるハラスメントによる鬱といったところだ。このひとは、絶望で、体がうごかなくなっているのではないだろうか。現実とフィクションの落差があるぐらいこの人だって分かっているが、それの落差を「強制」されたところがまずいのである。
姫君はこう答えた。機智もありそうには見えた。この山荘に置いて、思いのままに来て逢うことのできないのを今すでに薫は苦痛と覚えるのは深く愛を感じているからなのであろう。楽器は向こうへ押しやって、「楚王台上夜琴声」と薫が歌い出したのを、姫君の上に描いていた美しい夢が現実のことになったように侍従は聞いて思っていた。その詩は前の句に「斑女閨中秋扇色」という女の悲しい故事の言われてあることも知らない無学さからであったのであろう。悪いものを口にしたと薫はあとで思った。
――與謝野晶子訳
思い返してみると、源氏物語の中に現実と夢みたいな話はよく出てきていて、更級日記の人もまだ物語の中にいるとも言えるのであった。