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天下に一人も宮方と云人なく成て、佐殿も無憑方成せ給ひたらん時、さりとては憑ぞと承らば、若憑れ進する事もや候はんずらん。今時近国の者共多く佐殿に参りて、勢付せ給ふ間、当国に陣を召れて参れと承らんに於ては、えこそ参り候まじけれ。悪し其儀ならば討て進せよとて、御勢を向られば、尸は縦御陣の前に曝さる共、魂は猶将軍の御方に止て、怨を泉下に報ぜん事を計ひ候べし。抑加様の使などには御内外様を不云、可然武士をこそ立らるゝ事にて候に、僧体にて使節に立せ給ふ条、難心得こそ覚て候へ。文殊の、仏の御使にて維摩の室に入り、玄奘の大般若を渡さんとて流沙の難を凌しには様替りて、是は無慚無愧道心の御挙動にて候へば、僧聖りとは申まじ。御頚を軈て路頭に懸度候へ共、今度許は以別儀ゆるし申也。向後懸る使をして生て帰るべしとな覚しそ。御分誠に僧ならば斯る不思議の事をばよもし給はじ。只此城の案内見ん為に、夜討の手引しつべき人が、貌を禅僧に作立られてぞ、是へはをはしたるらん。やゝ若党共、此僧連て城の有様能々見せて後、木戸より外へ追出し奉れ。
あまりに世の中が混迷して――、南北の対立があるからこそ何をすべきかが分からなくなっているから混迷しているわけだ。今の日本でも、もはや政府と大衆みたいな二項対立は邪魔な対立でしかないように思える。こういうときには、文化というものも、その対立に油を注ぐ形でしか機能しなくなる。ここで、説得工作に来た禅僧を、おまえは文殊菩薩や玄奘とは違う、何事かっとしかりつける宮入道であるが、――かんがえてみれば、そこらへんの禅僧がそんなたいしたやつであるはずがなく、自分だってそういえばそこそこ大したやつではないかもしれない。
もうこれからは、いかに個的なものを形成できるかにかかっているとは言え、その際に、何か頼りに出来る文化に飛びつくと、恥ずかしい事を口走ることがありそうである。最近、戦時下の文化についての俯瞰的な研究を二冊読んだが、一冊は失敗、二冊目は踏みとどまっていた。やり方のひとつとしては、似ているものを躊躇わず比べてみたほうがよいかもしれないと思った。
上の宮入道がなにゆえ問題かもしれないのかと言えば、僧であるという同一性にしか拘って居ないからである。もっと似たものがいるのではなかろうか。
どちらが王でどちらが鼻后であるか決して見分けのつかぬ程美しいところの恋人同士が再会を喜び合ふ姿と、到底帰らぬと思つてゐた皇后が計らずも戻つて来たのに喜ぶ市民達の笑顔が見度かつたのだ、たゞそれだけのことだつた。「皇后を迎へた王と市民の喜びの流観は、俺の方にも見せて呉れるだらう、ちよつとぐらゐ。」こんなことを思つた。
再び悟空の全身には溢るゝばかりに勇しい血潮が涌き上つた。十日間山野を抜渉し、二十日間に十万里の空を往復して漸く烏金丸を作ることが出来た。
――牧野信一「闘戦勝仏」
牧野の悟空は猿であった。よくわからんが、王様の美しさに惚れていたために王と后の区別がつかなかった。それで、結局、彼らを救うことが出来たのであった。宮入道も、仏に仕える連中を輝かしさの中に放り込み区別をつけなければよかったのではなかろうか。