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立川文庫は我が家において家禁の書であった。家禁の書であるからこそ、それをかくれ読むおもしろさは倍増する。
――梅崎春生「本に関する雑談」
立川文庫の影響を考えるときに、こういう証言はあまり軽視されるべきではなく、家禁だから本当に読めなかった子どももいるということだと思う。私もあるひとから、戦後の講談社の子ども用の講談本を、目の前にありながら禁止されていたと聞いたことがある。とすると誰が読むことになるのかわからんが。。。大人が読んでいたのではないだろうか。
ポリーニの音楽には、たとえば、そう、高橋悠治にも山下洋輔にも決して近づくことができない硬質の美がある。いまそれに耳を傾けねばならない。この八枚のレコードを叩き割る日を夢見ながら、そそり立つ美の絶壁に圧倒され続けねばならない。
――浅田彰「ヘルメスの音楽」
浅田彰は育ちがいいのか、上のように、ポリーニについて「レコードを叩き割る日を夢見ながら、そそり立つ美の絶壁に圧倒され続けねばならない」とかいうんだけど、わたくしも幼児の頃、クリュイタンスとかミンシュのレコードを転がし木造長屋の壁に当てて遊んでいたのであってみれば、レコードを大事しろよとしかいいようがない。たたき割ったレコードを誰が買い直すのであるか。浅田氏は、「逃走論」の自らの主張とも共振し、どことなく想像上の行為主体として子どものようになっているのかもしれない。レコードをたたき割ってしまう子どもを育てる親の身にもなって頂きたい。
教育者は、大人なのか子どもなのか、どこから沸いて出たのかわからない言葉になにかコメントをし続けなければならない。つらい職業だ。