人魚の教へに従つて、貴公子が香港からイギリス行きの汽船に搭じたのは、その年の春の初めでした。或る夜、船がシンガポールの港を発して、赤道直下を走つて居る時、甲板に冴える月明を浴びながら、人気のない舷に歩み寄つた貴公子は、そつと懐から小型なガラスの壜を出して、中に封じてある海蛇を摘み上げました。蛇は別れを惜しむが如く、二三度貴公子の手頸に絡み着きましたが、程なく彼の指先を離れると、油のやうな静かな海上を、暫らくするすると滑つて行きます。さうして、月の光を砕いて居る黄金の瀲波を分けて、細鱗を閃めかせつゝうねつて居るうちに、いつしか水中へ影を没してしまひました。
それから物の五六分過ぎた時分でした。渺茫とした遥かな沖合の、最も眩く、最も鋭く反射して居る水の表面へ、銀の飛沫をざんぶと立てゝ、飛びの魚の跳ねるやうに、身を飜した精悍な生き物がありました。天井の玉兎の海に堕ちたかと疑はれるまで、皎々と輝く妖嬈な姿態に驚かされて、貴公子が其の方を振り向いた瞬間に、人魚はもはや全身の半ば以上を煙波に埋め、双手を高く翳しながら、「あゝ」と哎呦一声して、くるくると水中に渦を巻きつゝ沈んで行きました。
船は、貴公子の胸の奥に一縷の望を載せたまゝ、恋ひしいなつかしい欧羅巴の方へ、人魚の故郷の地中海の方へ、次第次第に航路を進めて居るのでした。
――「人魚の歎き」
この内容に対して、「人魚の歎き」と題する谷崎はいかにもステキ作家である。「恋を知る頃」もなぜだか読んでなかったから読んだのだが、――よく言われていることだろうけれども、谷崎は同じような主題や設定を少し出力を変えたりタイミングを変えたりしているけれども、戯曲でそれをやるというその感覚がいまいちわからない。この不安定な舞台に言葉を投げる作家のきもちはよくわからない。
谷崎や漱石に関してなぜか文体のある種の蓮っ葉さが気になって内容が入ってこないことがあるが、これも作品による。彼らがどう考えていたのかは分からないが、言文一致体の「言」に対してはある程度抵抗が働いていたはずだ。言文一致を言に向かって進む何かとかんがえるのは、近代文学の内面的発語への理想に対しては自然であるとともに、かならず堕落を宿命づけられている。いまの文学シーンをみればわかることだ。
そういえば、最近導入されつつある面接試験も、言に対する信頼抜きには語れない。わたくしは文の方が本体と信じるたちである。短時間で人間を見抜けると思っているのは、教師が陥りがちな勘違いというの、大人の常識ではなかったのかね、と思うのであるが、そもそも思想が違ってきているのかも知れない。ボス猿の嗅覚というのが教師には必須の能力な訳だが、それを人間の把握の正確さと錯覚するのがその言信仰者の特徴であるように思われるのだが、どうもよくわからない。
言と言えば、座談みたいなものもそうだ。それなりに長く生きてきて、舌鋒鋭い過激な思想家や若い論客というのが次第に、総じて「同時代資料」として扱われるに至るのをたくさん見てきたが、つまり当時から「同時代資料」なのだ。
この言への信仰への原因は無論「文」のほうにもある。大学教育について、もはや大学固有の学びなど幻想ですみたいな主張をしている人がいて、そのひとがまったく学生の卒業を冷や汗かきながら指導したことのない立場の人であったのが大きなエビデンスだ。どのような行動を持つ人間がどんな言葉を使用するか、まったく信用がなくなったのだ。
すると、演劇の世界の方が信頼出来る気がしてくるのも分かる気がする。文としての源氏物語よりも大河ドラマというわけである。――今日、「光る君へ」が最終回を迎えた。この大河ドラマ見ていいなと思った若人の皆さん、國文學のみちに進みましょう。一生、こんな一年が続くのです。最後は道長や紫式部の處に行けます。となりに泥酔した中原中也とかがいたらなぐってよいです。
死の床の道長を背後から抱きかかえてる紫式部、まるで自分の体が道長で出来ているような絵になってて、源氏物語が男の物語でありながら女性の物語である妙なありかたを体現しているようでよかった。