★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

国語研究室合宿で海の近くに泊まりました

2024-10-20 23:50:07 | 大学


全体からいうと、主従の関係、人と人との間の道徳であり、集団生活、社会生活の道徳でない点において、武士道は現代生活の根本精神とは一致せざるものである。あるいはまた、家族生活の特殊形態の如きものもこの例であろう。家族生活は如何なる時代にもあるが、その生活の形態なり様式なりは時代によって変化するので、徳川時代のそれは平安朝のそれとは遥かに違ったものであり、そうしてそれは徳川時代の民族生活、徳川時代の社会組織や経済機構の下において、始めて成り立ちもし維持せられもするものである。それとても、遠い昔の家族形態から民族生活の変化に応じて歴史的に発展して来たものであるには違いなく、それと共にまた、徳川時代の家族形態によって馴致せられた家族感情というようなものが、徐々に変化しながら今日までも或る程度に遺存してはいる。

――津田左右吉「日本精神について」


自由の追究を断念させられた主体こそが、集団形成をなしえない。反抗とか依存体質とか道徳心とかの説明を加えると分からなくなるが、つまりは精神の動きが体の運動としてつながっていないのだから、組織も個人の自由も不能である。全体主義的な状態は苛烈なぶんだけ十分自由な主体に移行できる。実際、現象を見た限りは、名だたる統制的国家がそういう運命をたどっている。

結局、どちらかというとそういう運命を持たない場合、我々はこんな感じの生物である↓



わがままで可愛らしく、一人で生きてゆける。すべての条件を整えられて。


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